- 1. はじめに:自分の敵を、社名にしたブランド
- 2. 2008年、一本のトレイルから生まれた問い
- 3. 「なぜキルトから冷気が入るのか」——設計思想の出発点
- 4. Pertexとダウンの選択肢——素材への一貫したこだわり
- 5. 代表作
- 6. おわりに:「冷気を封じる」という一点の、執念のかたまり
1. はじめに:自分の敵を、社名にしたブランド
「Katabatic(カタバティック)」とは、山の斜面を冷気が滑り降りてくる気象現象の名前だ。夜のテントを底冷えさせる、あの冷たい下降気流。キルトを使うハイカーが最も恐れる相手——それを、このブランドはわざわざ自分の看板に掲げた。
倒すべき敵の名を背負って戦う。その振り切れ方を知ったとき、ただの軽量ギアメーカーではないなと思った。
実際、海外ULコミュニティでのKatabatic Gearの語られ方は普通ではない。r/ultralight(Redditの英語圏ULハイキングコミュニティ)でキルト比較の話題になれば必ず名前が挙がり、「変えて以来、他が使えなくなった」という熱量の高い声がつく。キルトという、ともすれば「寒い」と敬遠されがちな道具で、なぜここまで信頼を集められるのか。
その答えは、社名に込めた宣戦布告の通り、「冷気をいかに封じるか」への執念にあった。
2. 2008年、一本のトレイルから生まれた問い
Aaron Martrayがキルトの設計を始めたのは2007年のことだ。
きっかけは、Hayduke Trail(米国ユタ州からアリゾナ州を横断する約1,200kmのロングトレイル)のスルーハイクを計画していたことだった。軽量化を進める中でキルトの存在を知り、当時市場に出ていたものを片端から調べた。だが、どれも同じ問題を抱えていた。キルトの背面と脇腹——スリーピングパッドとの接合部——から冷気が入り込んでくる。
「既存のキルトは、冷気の侵入を封じられていない」
その結論に行き着いたAaronは、自分でキルトを作ることにした。コロラドトレイル(コロラド州を南北に縦断する約800kmのロングトレイル)のスルーハイクで最初のプロトタイプを試し、その後およそ200夜をかけて設計を磨いた。アラスカのユーコン川でのカヤックツアー、ワシントン州のワンダーランドトレイル(レーニア山を一周する約150kmの周回トレイル)、ユタ州の高地砂漠地帯——あらゆる環境でプロトタイプに眠り、問題を洗い出し、修正し、また眠った。
2009年、Katabatic Gearが正式にローンチした。最初のラインナップはEliteシリーズだった。
2013年にはパートナーのKrisがチームに加わり、2015年にはFlexシリーズが追加された。現在もAaron自身が出荷前に全てのキルトを手作業で検品している——生産規模を拡大してもこの習慣を変えなかった。
3. 「なぜキルトから冷気が入るのか」——設計思想の出発点
ブランド名「Katabatic(カタバティック)」は、気象用語だ。ギリシア語の「katabatikos(斜面を下る)」に由来し、山の斜面を冷気が重力に従って滑り降りる現象を指す。夜の山でテントの外を流れる冷気——いわば封じるべき敵の名前を、自分たちのブランド名にした。
その姿勢は設計にも直結している。
Katabatic Gearのキルトには、冷気の侵入を防ぐための仕組みが3つある。
差動裁断(Differential Cut)。ライナーの周径をシェルより小さく裁断することで、ダウンが常に均等に膨らんだ状態を保つ。眠る体勢を変えて膝や肘が生地を押し上げても、ライナーとシェルの差分がその力を吸収し、冷気の通り道になるような引きつれが生じない。
パッドアタッチメントシステム。特許取得済みの機構で、パッドとキルトの間の隙間をゼロにすることを目的としている。2mmのコードがキルトの周囲に走り、2段階のクリップでパッドに固定する。寝相が激しくても、パッドからキルトがずれない。
首元の冷気止め(ドラフトカラー)。首まわりはキルトの最も熱が逃げやすい部分だ。Katabaticのキルトには、ダウンをたっぷり詰め込んだカラーが首にぴったりフィットするよう設計されている。詰め込みすぎくらいに膨らませることで、寝返りを打っても隙間が生じにくい。
そして、もう一点。温度レーティングは「快適温度」での評価だ。多くのメーカーが「限界温度」(ギリギリ機能する温度)で表示するのに対し、Katabaticは快適に眠れる温度を基準にしている。表示温度での使用感が、他社の同表示より実際には余裕があることが多い——これが海外ULコミュニティで「暖かいキルト」として繰り返し語られる理由のひとつでもある。
4. Pertexとダウンの選択肢——素材への一貫したこだわり
生地はPertex Quantum Y Eco(英国Pertex社製の軽量リップストップ生地・リサイクル素材版)。シェルに0.85oz/yd²、ライナーに1.0oz/yd²のタフタを使う。軽さと引き裂き強度のバランスが取れた定番素材だ。
ダウンは2系統から選べる。
900fp Elite Goose Down:グースダウンの最高グレード。同重量あたりの保温効率が最も高く、より小さく収まる。未処理版と撥水処理(HyperDry)版がある。
850fp HyperDry Duck Down:撥水処理を施したダックダウン。湿気や結露が多い環境での耐性が高く、価格も抑えられる。「水分に接しやすい山行が多い」「コストパフォーマンスを重視する」という場合の選択肢だ。
どちらのダウンも、Allied Feather and Down(米国のプレミアムダウン調達・加工専門業者)から調達。RDS(Responsible Down Standard:動物福祉基準を満たしたダウン調達の国際認証)認証済みだ。撥水加工も環境負荷の高いフッ素化合物を含まない処方への移行が進んでいる。
「最良の素材を使う」という方針はローンチ当初から変わっていない。軽量化の手段として素材のグレードを下げることをしない——というよりも、そこにコスト圧縮の余地を見出さない、という姿勢だ。
5. 代表作
Katabaticには2つのシリーズがある。EliteとFlex。どちらも同じ設計思想から生まれているが、「誰に」「どんな状況で」使われるかで、大きく性格が異なる。
Flexシリーズ:「キルトは寒い」という先入観を覆すために生まれた
2015年に追加されたFlexは、Eliteに対してある問いへの答えだった——「キルトの魅力はわかる。でも暑い夜と寒い夜が混在する山行では、どうすればいい?」
Flexの核心はフットボックスのジッパーにある。暑い夜はジッパーを全開にして布団のように使い、気温が下がればジッパーを閉じてシュラフに近い形状にできる。加えて、4方向ストレッチ素材を採用しているため、寝返りや体勢の変化に生地が追随する。寝袋に感じる「締め付け感」なしに、ちゃんと体に密着してくれる。
| モデル | 快適温度 | 重量(900fp/Regular) | USD定価〜 |
|---|---|---|---|
| Flex 40°F | 約4℃ | 約484g〜 | $349〜 |
| Flex 30°F | 約−1℃ | 約581g〜 | $379〜 |
| Flex 22°F | 約−6℃ | 約646g〜 | $399〜 |
| Flex 15°F | 約−9℃ | 約700g〜 | $419〜 |
| Flex 5°F | 約−15℃ | − | $439〜 |
日本での取り扱いは株式会社アブレイズ(正規代理店)。850fp HyperDry Duck版での参考価格として、Flex 30°Fが¥48,500・Flex 15°Fが¥56,000前後で流通している(価格は時期・仕様によって変動するため、購入時に確認を)。
Flexは5段階あるが、日本の3シーズン山行を中心に考えるなら、Flex 22°F(約−6℃)が最初の一本として汎用性が高い。標高2,000m前後の夏の稜線、秋の低山と、気温差をひとつのキルトでカバーしやすい。
Eliteシリーズ:グラムを削るための、引き算の設計
2009年創業時からあるEliteシリーズは、Flexが生まれる前から使われてきたブランドの原点だ。ストレッチ素材を使わないマミー型の裁断で、Flexより約25g〜40g軽く、収納サイズも約6.5Lとコンパクト(Flexは約8L)。わずかな差に見えるが、30Lのザックに全てを詰め込もうとするとき、この23%の差は無視できない。
Flexとの違いは「フットボックスが開閉しない」「伸びない」——この2点だけと言ってもいい。逆に言えば、「温度帯が決まっていて、寝袋的な融通は要らない」という人には、余分な重さとかさばりを捨てることができる。
ラインナップはPalisade(30°F・約−1℃)、Alsek(22°F・約−6℃)、Sawatch(15°F・約−9℃)の3モデル。Regularサイズで18.5〜24.7oz(524〜700g)の範囲に収まる。
FlexかEliteか——選び方の整理
| 観点 | Flex | Elite |
|---|---|---|
| フットボックス開閉 | ✅ ジッパーあり | ❌ 固定 |
| 生地の伸縮性 | ✅ 4方向ストレッチ | ❌ ノンストレッチ |
| 収納サイズ | 約8L | 約6.5L(23%小) |
| 重量差(同温度帯比較) | 約25〜40g重い | より軽い |
| 温度帯ラインナップ | 5段階(40〜5°F) | 3段階(30〜15°F) |
| こんな人に | キルト初体験・気温差が大きい山行・汎用性優先 | キルト慣れしている・特定の温度帯に特化・グラム重視 |
6. おわりに:「冷気を封じる」という一点の、執念のかたまり
冒頭で書いた「敵を社名にした」という話に、ここで戻りたい。
調べ終えてみると、Katabatic Gearのやってきたことは、すべてあの宣戦布告の延長線上にあった。差動裁断も、特許のパッドアタッチメントも、首元の冷気止めも、コンフォート基準の正直な温度表示も——全部「冷気をどこからも入れない」という一点に集約されている。200夜の試作も、量産後も社長自ら全品検品を続けるのも、同じ執念の表れだ。
海外ULコミュニティがこのブランドを手放さない理由は、軽さではない。「敵を一匹も通さない」と決めた者だけが届く、設計の徹底ぶりにある。
僕自身はまだ、その徹底を寝袋の中で味わったことがない。キルトという道具に本気で手を出すとき、最初に名前を確かめるブランドであることだけは、もう間違いないと思っている。