- 1. はじめに:「縫えない素材」という出発点
- 2. ギタリストがシェフになり、シェフがミシンを覚えた
- 3. ヨット職人が、山の道具の師匠になった
- 4. 1840年代の綿工場で、宇宙素材を貼る
- 5. 僕が唸った代表作
- 6. おわりに:素材が先に、思想が後からついてきた
1. はじめに:「縫えない素材」という出発点
DCF(Dyneema Composite Fabric)は、ミシンで縫えない。
正確に言えば、縫えないわけではない。縫い穴が開く。1本の針が通るたびに、ピンホールが生まれる。そこから水が入る。なんのために防水素材を使っているのか、という話になる。だからDCFのシームは、縫うのではなく貼る。シームテープを、1センチのズレも許さず、手作業で圧着していく。機械では再現できない。熟練した手の感覚と、目で確認しながらの作業が要る。
Hyperlite Mountain Gear(以下、HMG)は、アメリカ・メイン州発のULアウトドアギアブランドだ。DCFを全製品の基幹素材として採用し、バックパック・シェルター・スタッフサックを一貫してメイン州の工場で作り続けている。その理由は、崇高な「地元愛」や「Made in USA」の旗を掲げているからではない。結論として、製造は外注できなかった。DCFのシームを正確に貼る技術は機械では再現できない——そういう工程を遠くの工場に丸投げすることが、物理的に不可能だったのだ。ブランドの思想以前に、素材の性質が製造地を決めていた。
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2. ギタリストがシェフになり、シェフがミシンを覚えた
HMGの創業者、マイク・セント・ピエールの職歴を並べると、脈絡がない。
ペンシルベニア育ち、ハイスクール卒業後にニューヨークへ。プロのギタリストを目指したが挫折し、その代わりにイーグルスのツアーで音響エンジニアとして働いた。メインに戻り、ケネバンクポートのビストロで料理を学んでスーシェフになった。
アウトドアへの目覚めはボルダーで、地元のガイド兼クライマー——ビルという名の人物——に連れ出されたのが最初だった。以来25年、山に入ることが習慣になった。だが、市場にあるギアに満足できなかった。重い、防水コーティングがいつか劣化する、ザックカバーを別に持たなければならない——「なぜ、こういうものしかないのか」という不満が積み上がっていった。
転機は2008年か2009年頃、オンラインのフォーラムだった。アメリカズカップのヨットに使われている素材についての議論が流れていた。Dyneema——当時はキューベンファイバーと呼ばれていた、帆用の複合素材だ。引張強度が鋼鉄の15倍、驚異的な軽さ、そして本質的に防水。マイクはその場で9ヤードを発注した。
ブルックリンのアパートに戻ると、寝室のクローゼットの扉を外して作業台にした。家中からミシンをかき集め、ソーイングを独学した。最初のミシンは$100の家庭用。最初に縫ったものは、「使えたが、今と比べたら話にならないレベル」だったと本人が語っている。
最初の製品——ECHO Tarp——が完成するまでに、100枚近いプロトタイプを作った。
100枚のプロトタイプ。
ただし誤解してはいけない。100枚の失敗ではなく、100回の学習だ。HMGが掲げる開発哲学は "Fail Fast, Fail Cheap, Fail Forward"——速く失敗して、安く失敗して、失敗から前に進む。ひとつのプロトタイプが教えることを吸収して、次のプロトタイプに移る。ボンディングの角度、テープの圧着温度、タイアウトの補強の取り方。すべて、作って壊して、また作ることで体に入った。
3. ヨット職人が、山の道具の師匠になった
プロトタイプの途中、マイクには誤算があった。
DCFの扱いは、通常のミシン仕事とまったく異なる。縫えないから貼る。だがその「貼る」という技術を誰も教えてくれなかった。アウトドアギアの世界には、この素材を扱うノウハウがほぼ存在しなかったからだ。
手がかりは素材の出自にあった。DCFの前身であるキューベンファイバーは、アメリカズカップのヨットの帆のために開発された素材だ。メイン州の海岸沿いには、セイルメーキングの職人がいた。彼らはこの素材の扱いを知っていた。
マイクは地元のセイルメーカーのところに行った。登山用のタープを作りたいと言って、帆の職人にDCFの貼り方を学んだ。ヨットの世界のノウハウが、山のギアに流れ込んだ瞬間だ。
この出会いが、HMGの製造品質の土台を作った。
4. 1840年代の綿工場で、宇宙素材を貼る
HMGの工場は、メイン州ビデフォードのペパーレル・ミルにある。
1840年代にサコ川沿いに建てられた、アメリカ最古級の綿花紡績工場のひとつだ。19世紀から20世紀にかけて、数千人がここで働き、ビデフォードの街はこの工場の雇用によって成立していた。やがてアメリカの製造業がアジアへ流出し、工場は廃れた。
マイクとその兄弟のダンがここに入ったのは2012年頃だ。磨り減った木の床、高い天井、大きな窓から差し込む光——ほぼ使われていない空間に、ミシンと裁断台を持ち込んだ。
現在、工場には約45人のスタッフが働いている。CADによるパターン設計、Dyneema素材の裁断、シームテープの圧着、縫製。すべてが同じビルの中で完結する。
この場所の奇妙さを、少し考えてほしい。1840年代に綿花を紡いでいた建物の中で、ヨットの帆に使われていた宇宙船級の素材を、山で使うタープとパックに仕立てている。素材の進化としての時間、産業の盛衰としての時間、ひとつのブランドが積み上げた時間——それが全部、磨り減った木の床の上にある。
「メイン州で作る」という信念は本物だと思う。同時に、それ以前に物理的な必然がある。DCFのシームは機械で代替できない熟練した手作業が要る。製造工程全体を自分たちの目の届く範囲に置かなければ、品質は担保できなかった。外注という選択肢は、素材の性質が最初から消していた。
5. 僕が唸った代表作
Windrider / Southwest / Junction / NorthRim:同じ骨格、異なる哲学
HMGのパックラインナップを初めて見たとき、「なぜ似たモデルが4つもあるのか」と思った。実際に調べるとそれぞれの設計意図がはっきり違って、選択の余地があるというより、使い方が違う人のために別々に作られているという構造だった。
共通しているのは、ロールトップ開口・DWC(Dyneema Woven Composite)製本体・ヒップベルトポケットというベース設計だ。容量は40L・55L・70Lの三展開で、トルソーサイズもSmall〜Tallの4段階から選べる。4モデルの違いはほぼ「外付けポケットの素材と配置」に集約される。
Windrider
全外付けポケットがメッシュ。中身が見える、通気する、濡れた装備がすぐ乾く——という利点を最大化している。森林帯や見通しのいい整備ルートで、パッキングの出し入れ頻度が高い人向け。HMGの最初のパックとして2011年に登場し、7000マイル(約11,000km)のフィールドテストと30〜40回の設計変更を経て現在のフォルムに辿り着いた。「削った」のではなく「それ以外が必要なかった」という佇まいは、このテスト量の産物だ。重量は40Lで約790g。
Southwest
全外付けポケットがDyneema硬布製。岩場・ヤブ漕ぎ・降雨時に外ポケットの中身を守りたい人、あるいは海外移動などプライバシーを確保したい用途に向いている。メッシュを使わない分、見た目も「タフな道具」の印象が強い。スルーハイカーに長年支持されてきたのはこのモデルで、「HMGといえばSouthwest」と言われた時代が長かった。
Junction
フロントにメッシュポケット、サイドにDyneema硬布というハイブリッド構成。「Windriderの前ポケットとSouthwestのサイドポケット、両方欲しい」というカスタム要望が殺到したことから生まれた製品で、ユーザーの声がそのままフォルムを決めた経緯がある。地形を選ばず使えるため、最初の一本として選ばれることが多い。55Lで約830g。
NorthRim
この中で別格の位置づけだ。素材がDCHW(Dyneema Composite Hybrid Woven)とDWC5.0の組み合わせで、4モデル中最も耐久性が高い。オフトレイル・岩稜帯・繰り返しの酷使を想定した設計で、ハイドレーションポートがないという点も「水を入れながら歩く場面より、荒れた地形を確実に進む場面」を優先した選択だと解釈できる。楽天での取扱は限られるが、並行輸入で入手可能。
2025年リニューアルで何が変わったか(Windrider・Southwest・Junction共通)
素材のDWC3.9への移行で、旧素材(DCH)と同重量のまま耐摩耗性10倍・耐引き裂き性5倍を達成。R&DディレクターVictoria Rudeはこう述べている——「a much nicer hand feel and doesn't have the same crinkle(手触りがはるかに良く、あのパリパリ感もなくなった)」。ショルダーハーネスはAspectモデルの形状に近づけ食い込み感を解消。サイドポケットは深く・低く配置し直し、背負ったまま水筒を出し入れしやすくなった。
Pemi 15:ファストパッキングのための別解
Pemi 15は、HMGの文脈では異色の存在だ。容量15L、重量約352g(Mサイズ)のランニングベスト型ファストパッキングパックで、素材にはALUULA 97(UHMWPEベースのALUULAコア)を採用している。DWCではなくALUULAを選んだ点が面白い——伸縮性のある素材と硬い素材を部位ごとに使い分け、走行時のバウンシングを抑えながら軽さを確保するという設計判断だ。
ポケット構成はフラスコポケット×2・フロントスウープポケット×2・ジッパーポケット×2・サイドスウープポケット×2と豊富で、行動食・スマホ・地図・ソフトフラスクへのアクセスを走りながら行えるレイアウトになっている。ハイドレーションブラッダー対応のバックパネル、右フラスクポケットに内蔵されたホイッスル、ポール収納用のコードフック——ファストパッキングで必要なものを小さな容積に詰め込んでいる。
ロールトップ開口という点はメインパックラインと共通。「HMGのDNA」はここにも通底している。価格は$250。
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Ultamid:DCFで作るとシェルターはどう変わるか
Ultamidは、ピラミッド型シェルターだ。
ピラミッド型自体は珍しくない。HMGが提示したのは「DCFで作るとシェルターはどう変わるか」という問いへの答えだ。素材が本質的に防水なので、シームテープだけで防水が完結する。PUコーティングが劣化する心配がない。軽い、頑丈、経年変化しにくい——この三つが同時に成立するシェルターは、2011年当時ほぼ存在しなかった。
Ultamid 2でトレッキングポール2本使用時の重量は400g台。r/ultralightでは"bomb proof"という評価が定着していて、50mph(約80km/h)の強風を受けてもコーナー部に軽微なダメージが出た程度だったという報告がある。価格は$900〜と高い。その値段を払うかどうかは用途と予算次第だが、DCF製シェルターとして候補に上がるのは自然だ。
6. おわりに:素材が先に、思想が後からついてきた
HMGを一言で表すなら、「素材の物理に従ったら、こうなった」ブランドだと思う。
縫えない素材を選んだ。だから貼る技術を学んだ。ヨット職人のところへ行った。外注できないから、メイン州に工場を構えた。使われなくなった綿工場に入った。手作業の精度を担保するために、製造全体を自分たちの目の届く範囲に置いた。
思想が先にあって製品ができたのではなく、素材の性質に従って行動した結果として、HMGというブランドの輪郭ができあがっている。
それが、長く使えるギアを生む理由だと僕は思っている。信念で作ったものより、物理に従って作ったものの方が、嘘がない。
マイク・セント・ピエールは今もこう言っている。「Lighter and stronger? How can it not catch on?(より軽く、より強く?どうして普及しないことがあろうか)」
その確信は、100枚のプロトタイプの上に立っている。
→ 幾何学から設計を始めたDurston Gearの思想を読む