- 標高2,500mを超えると、睡眠は物理的に浅くなる
- 呼吸が勝手に止まる|周期性呼吸という仕組み
- 原因を4つに分ける|耳栓が効く問題と、効かない問題
- 低酸素側にできること
- 音・光・寝床にできること
- テント泊なら眠れるのか|変わるのは4つのうち1つだけ
- お盆の小屋という条件
- 眠れなかった翌日に、何が落ちるか
- 眠れなかった前提で、翌日を組む
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山小屋の消灯は早い。20時に横になって、23時に目が覚めて、それから朝まで細切れ。隣のいびきを恨みながら天井を見ている——お盆の混んだ稜線の小屋で、たぶん何百人も同じことをしている。
翌朝は寝不足のまま歩き出す。ここで多くの人が「いびきさえなければ」と結論する。耳栓を買って、次はもう少しマシになることを期待する。
その耳栓は半分しか効かない。 標高2,500mを超えると、健康な人の睡眠は音とは無関係に浅くなる。しかも3,000mを超えると、ほぼ全員の呼吸が寝ているあいだに勝手に止まっては、また始まる。
槍ヶ岳山荘は標高3,080m。日本のメジャーな稜線の小屋の多くは、この「睡眠が壊れる標高帯」にある。
この記事は一般向けの情報で、診断や治療の指示ではない。睡眠時無呼吸の持病がある人、高山病の既往がある人、薬の使用を考えている人は、入山前に医師に相談してほしい。
標高2,500mを超えると、睡眠は物理的に浅くなる
結論から言えば、高所では「眠りにくさ」が個人差ではなく標高で決まる部分がある。2,500mを超えたあたりから、入眠しにくくなり、夜中に何度も目が覚め、翌日に眠気が残る。
高所医学の総説はこの帯をはっきり書いている。標高2,500mを超えて登ると、多くの人が睡眠の質の実質的な低下を経験する——寝つきの悪さ、頻回の覚醒、呼吸の乱れ、そして翌日の眠気だ。
大事なのは、これが病気の人の話ではないということだ。高山病になっていない、健康で、体力もある人に起きる。山小屋で眠れなかったのを体力不足や神経質さのせいにしていた人は、そこを一度切り離していい。
呼吸が勝手に止まる|周期性呼吸という仕組み
結論から言えば、高所では寝ているあいだに「深く速い呼吸」と「無呼吸」が交互に現れる。これを周期性呼吸と呼ぶ。標高3,000mを超えると、健康な人でもほぼ全員に出る。
仕組みはこうだ。
- 標高が上がって酸素が薄くなると、体は呼吸を増やして酸素を稼ごうとする
- 低酸素にさらされた体は、血液中の二酸化炭素の変化に敏感になりすぎる
- たくさん呼吸すると二酸化炭素が抜けすぎる。すると「呼吸しなくていい」という信号が出て呼吸が止まる
- 止まると酸素が減り、また慌てて深く速く呼吸する。以下くりかえし
エアコンの温度設定が敏感すぎて、効きすぎては止まり、止まっては効きすぎるのに似ている。制御が過剰に振れているだけで、体は壊れていない。
問題は、この振れ幅が覚醒を作ることだ。呼吸が再開する瞬間、脳は浅い眠りへ引き上げられる。高所の睡眠では、この短い覚醒が繰り返し起きる。しかも壊れるのは主に浅い段階の眠りで、そこを何度も出入りすることになる。
だから朝、こう感じる。「寝た気がしない」。 実際、寝ている時間の合計はそれほど短くないのに、質のほうが削られている。
原因を4つに分ける|耳栓が効く問題と、効かない問題
結論から言えば、山小屋で眠れない原因は少なくとも5つあり、道具で解決できるのは前半の3つだけだ。ここを混ぜているかぎり、何を買っても半端に終わる。
| 原因 | 正体 | 効く手 |
|---|---|---|
| 音 | いびき、寝返り、床板のきしみ、夜中の出入り | 耳栓。ここは道具が素直に効く |
| 光 | 消灯後も人がヘッドランプで動く。夏は3時台から明るい | アイマスク。ここも道具が効く |
| 寝床 | 枕が高すぎる/低すぎる、隣との距離、暑さ寒さ | 枕・寝る位置・着るものの調整 |
| 低酸素 | 周期性呼吸、短い覚醒の繰り返し | 耳栓では効かない。行程と体調管理の側 |
| 生活リズム | 20時消灯。普段そんな時間に寝ていない | 期待値の側を下げる |
耳栓を買うのは正しい。ただし耳栓で解けるのは5分の1だと知っておくと、翌朝の落胆が減る。「対策したのに眠れなかった」ではなく「対策が効く範囲では効いた」になる。
ついでに言うと、隣のいびきの側にも山の事情がある。いびきは気道を支える筋肉がゆるんで空気の通り道が狭くなることで起きる。疲労はその筋肉をゆるめる方向に働くので、一日歩いた体は普段よりいびきをかきやすい。恨んでいる相手も、自宅ではもう少し静かに寝ている可能性が高い。
なお「標高そのものがいびきを増やす」と書いてある資料も見かけるが、はっきりした裏づけは見つけられなかった。ここは疲労で説明できる範囲に留めておく。
低酸素側にできること
結論から言えば、周期性呼吸そのものを道具で止めることはできない。できるのは、体を先に標高へ慣らしておくことと、呼吸をさらに乱すものを持ち込まないことだ。
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標高を一気に上げない——バスや車で登山口まで一気に高度を稼ぐ行程は、体に順応の時間を与えない。可能なら前泊や、初日を短くする組み方を選ぶ
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アルコールを入れない——山小屋のビールは山行の楽しみの一つで、これを禁じたい記事ではない。ただしアルコールは呼吸を抑える方向に働くので、周期性呼吸が出る標高では分が悪い。飲むなら量と時間を早めにずらす
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脱水にしない——高所では呼吸が増えるぶん、水分が呼気から出ていく。日中の水分計画がそのまま夜に効く
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薬に頼るなら医師と決める——高所の周期性呼吸を減らす薬はあるが、処方薬であって山道具ではない。既往がある人ほど、入山前の相談で決めるのが筋だ
そして、寝られなかった夜の翌日をどう組むかのほうが実は重要になる。判断力は睡眠不足で確実に落ちる。翌日に難所や長い行程を置いた計画は、小屋泊1日目の夜が読めない時点で危うい。
夜の水分と行動中の水分は地続きなので、発汗量から逆算する水分計画も合わせて見てもらえるといい。標高そのものへの体の反応は、高山病は体力では防げないという話のほうが近い。
音・光・寝床にできること
ここは道具が素直に効く領域だ。
耳栓は「買う」より先に「試す」
耳栓は合う合わないの個人差が大きい。遮音値の高さより、自分の耳穴に入るか、横向きで寝たときに圧迫されないかのほうが効く。いきなり高いものを1種類買うより、形の違うものを何種類か試してから決めたほうが早い。
- 遮音しすぎると、非常時の呼びかけや館内放送が聞こえない。完全に遮断するより、いびきの帯域が落ちれば十分という考え方でいい
- 小さい耳栓は暗い中で落とすと見つからない。ケースか、ポケットの決まった場所に
光は、消灯後にこそ入ってくる
小屋の消灯は早いが、そこから朝まで真っ暗というわけではない。トイレに立つ人がヘッドランプを点ける。まだ起きている人がスマホを見る。そして夏の稜線は、3時台にはもう白み始める。早出の支度が始まれば、寝床は明るくなる。
音と違って、光は目を閉じていても効いてしまう。まぶた越しの明るさは、体に「朝だ」という信号を送り続ける。耳栓を持つ人は多いのに、アイマスクを持つ人が少ないのは、たぶん光が原因として意識されていないからだ。
枕は、たいてい高さが合わない
小屋の枕は硬さも高さも選べない。首の角度が合わないだけで寝つけない人は、薄いものを1つ持つと変わる。ここはサイトのエアピローを実測で比べた記事のほうが詳しい。
着るもので暑さ寒さを調整する
混んだ小屋は暑い。逆に窓際は明け方に冷える。寝床の温度は動かせないが、着るものは動かせる。行動着のまま寝ると汗が残って冷えるので、乾いた1枚に着替えておくと寝つきが変わる。
テント泊なら眠れるのか|変わるのは4つのうち1つだけ
結論から言えば、テント泊のほうがよく眠れるという実感はたぶん正しい。ただし理由は「静かだから」ではなく、4つの原因のうち"寝床"だけを自分で最適化できるからだ。低酸素の分は、幕を張っても同じだけ食らう。
同じ稜線のテント場は、小屋と標高が変わらない。周期性呼吸は生地1枚の内側かどうかで変わるものではないので、標高が作る分の眠りにくさはそのまま持ち越す。マットをどれだけ良くしても、そこは消えない。
一方で、変わるところははっきりしている。
| 原因 | 山小屋 | テント泊 |
|---|---|---|
| 音 | 隣のいびき、寝返り、夜中の出入り | 風、雨音、隣のテントの声。耳栓は同じように効く |
| 寝床 | 枕も布団も選べない | マット・枕・シュラフを全部選べる。ここが有利 |
| 光 | 消灯後のヘッドランプ、早出の支度 | 生地が薄いぶん夜明けで一気に明るくなる。ここは不利 |
| 低酸素 | 標高で決まる | 同じ。幕体では変わらない |
| 生活リズム | 20時消灯を強制される | 自由。ただし暗くなれば結局そのくらいに寝る |
つまりテント泊は5つのうち1つで勝って、1つで負ける。寝床は自分の体に合わせられるが、光は生地1枚しか隔てていないぶん小屋より条件が悪い。「テント泊にしたらよく眠れた」は寝床の勝ちぶんで説明がつくし、「テントだと朝が早すぎる」も同時に起きる。差し引きすると、アイマスクの必要度はテント泊のほうが高い。
そして、マットとシュラフに投資しても眠れない夜が残るなら、それは低酸素と生活リズムの分だ。ここは装備では買えない。
寝床の側を詰めるなら、張る場所で体感温度が決まる話と快適温度で対等に比べたシュラフ比較のほうが直接効く。テント場は小屋と違って冷気だまりを避けるという選択肢が自分の手にあるので、そこは寝床を選べる強みがいちばん出るところだ。
お盆の小屋という条件
お盆は、上の4つの原因が全部きつくなる時期だ。
- 定員いっぱいで隣との距離が近い=音が増える
- 混雑で室温が上がる=寝床の条件が悪化する
- 天気待ちや渋滞で行程が押しがちで、順応の余裕が削られる
- 予約が取りにくく、行程の自由度が下がる
裏を返せば、この時期にできる対策は「音」と「寝床」と「期待値」に集中している。低酸素側は行程の組み方の話で、当日の夜には動かせない。だから前日までに決めておくことと、当日の夜にできることは分けて持っておくといい。
眠れなかった翌日に、何が落ちるか
結論から言えば、寝不足で最初に落ちるのは体力ではなく判断力だ。しかも落ち方は、自分では感じ取りにくい。
睡眠不足の研究で、山の文脈にそのまま刺さる数字がある。連続して17〜19時間起きている状態は、血中アルコール濃度0.05%相当を超える程度まで成績を落とす。反応時間はおよそ半分の速さになるという報告もある。
これを山小屋の朝に当てはめてみる。3時に起きて4時に小屋を出るなら、17時間の覚醒に達するのは20時——行動を終えたあとだ。ここまでなら悪くない。問題は前夜だ。23時に目が覚めてそれきり眠れなかったなら、覚醒時間の起点はそこになる。すると17時間に達するのは16時。夕方の下山、疲れて足が上がらなくなる時間帯と重なる。
- 論理的な組み立て——前頭前野は睡眠不足にとくに弱い。複数の条件を並べて比べる作業が雑になる
- 「うまくいっていない」という信号の拾い方——うまくいっている合図は拾えるのに、まずい兆候のほうを取りこぼす、という実験結果がある。これは撤退判断そのものだ
- リスクを取る方向への傾き——寝不足では、選択が危ない側へ寄る
二つ目が効く。山で必要なのは「行けそうだ」を拾う力ではなく、「これはまずい」を拾う力のほうだ。眠れなかった翌日は、その拾う力だけが選択的に鈍る。行動そのものはできてしまうから、鈍っていることに気づけない。
体温が落ちたときの判断力低下も同じ構造で、止まった瞬間から進む低体温症のほうにも書いた。山では「自分の判断が鈍っていることに自分で気づけない」場面が何度も出てくる。
眠れなかった前提で、翌日を組む
山小屋で眠れないのは、神経質だからでも体力がないからでもない。標高2,500mを超えた時点で、睡眠の質が落ちる条件に入っている。3,000m級の小屋なら、呼吸が寝ているあいだに止まっては再開することも、たぶん起きている。
だから対策の順番はこうなる。耳栓と枕で取れる分を取る。低酸素の分は行程で減らす。そして残った分は、諦めて翌日の計画に織り込む。
いちばん危ないのは、「今夜はぐっすり眠れるはず」を前提に翌日の難所を置くことだ。眠れない夜がありうる、という前提で組んでおけば、実際に眠れなかった朝の判断が一段安全な側に倒れる。