- 標高でおならは「増える」|「高所放屁」という、れっきとした生理現象
- 「すかし我慢」が報われない理由|お腹を重くしている本当の犯人
- なぜビオフェルミンは「効いた気がしない」のか|菌では、効きどころが違う
- 山の腹を立て直す|水・水溶性繊維・"朝のリズム"で動かす
- テント場のエチケットと、おならの落としどころ
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テント場の夜。隣のテントとは、布一枚はさんで50cm。シュラフの中で、僕の腸は明らかに「出したい」と言っている。けれど、ここで音を立てるわけにはいかない。僕は全神経をお尻に集中させ、限界までゆっくり、無音で、いわゆる「すかし」を試みる。成功したりしなかったりする。そして翌朝、決まってお腹は重く、3日目あたりから便はうんともすんとも言わなくなる。
ザックの隅には、毎回ビオフェルミンを忍ばせている。整腸剤だ。なのに、正直「効いた」と膝を打った記憶がない。
これは、僕だけの悲劇ではないはずだ。そして結論から言うと、山でお腹がおかしくなるのは、たいてい「腸内細菌」の問題ではない。 だから菌を足しても、手応えが薄い。犯人は別にいる——気圧と、水と、我慢だ。順番に、その正体を見ていく。
標高でおならは「増える」|「高所放屁」という、れっきとした生理現象
まず、夜のテント場で僕らを苦しめる「ガス問題」には、れっきとした名前がついている。高所放屁(こうしょほうひ)——英語の頭文字で「HAFE」とも呼ばれる、名前のある現象だ。1981年、アメリカの医師ふたりがサンファン山脈を歩いていて、標高3,350mを超えたあたりで「おならの量と回数が明らかに増えた」ことに気づき、医学誌(Western Journal of Medicine)に大真面目に報告した、という由緒正しい現象だ。
仕組みは中学校で習った物理そのもの。気圧が下がると、気体は膨らむ(ボイルの法則)。 標高3,000mの稜線は気圧が平地のおよそ7割、富士山頂なら6割強。ということは、腸の中に閉じ込めたガスは、ざっくり4〜5割増しに膨張する(体温一定として概算)。下界では収まっていたぶんが、登るほどパンパンに膨れていく。
つまり、テント場で必死にこらえているとき、僕は物理法則とお尻の力みの一騎打ちをしているわけだ。相手はボイルの法則。分が悪いに決まっている。高所放屁そのものは無害で、病気ではない。ただ「標高が上がるほど出物は増え、我慢はつらくなる」——この前提を知らずに気合いで封じ込めようとするから、お腹が張って苦しくなる。
「すかし我慢」が報われない理由|お腹を重くしている本当の犯人
では、その我慢が便秘まで引き起こしているのか。ここは正直にはっきりさせておきたい。おならを我慢すること自体は、便秘の主犯ではない。 我慢したガスは腹部膨満(張り)と不快感を生むが、それと「便が出ない」は別の話だ。
縦走で便が止まる本当の犯人は、だいたいこの3つに集約される。
- 脱水——いちばん大きい。汗と呼気で水分が出ていく一方、行動中は水をこまめに飲みづらい。体が水を欲しがると、大腸は便から水を絞り取って再吸収する。結果、便はカチカチに硬くなって動かなくなる
- 排便の我慢——汚いトイレ、行列、そもそも無い。便意を見送ると、直腸は「あ、今じゃないのね」と学習して、その合図を引っ込めてしまう。これを繰り返すと、出すきっかけそのものを失う
- 食事と生活リズムの激変——行動食は糖と脂質が中心で、ふだん腸を動かしている食物繊維がごっそり減る。水分の多い食事も減る。起床も就寝も食事の時刻もバラバラ。腸は習慣の生き物なので、リズムが崩れると素直にサボる
「すかし我慢」で苦しいのは事実。でも、お腹を重くしている大もとは、水・我慢・食事のほうにある。ガスを封じることに気を取られていると、この大もとを見落とす。
なぜビオフェルミンは「効いた気がしない」のか|菌では、効きどころが違う
さて、ビオフェルミンである。名誉のために言っておくと、整腸剤(プロバイオティクス=腸に良い菌を補うもの)が無意味なわけではない。慢性的な便秘に対して、菌の種類によっては排便回数や便の硬さを改善する、という研究はある。ただし効果は「中等度」で、結果もまちまち、というのが今の科学のおおむねの評価だ。
整腸剤を普段の習慣にして腸を整えるなら、定番はこれ。
問題は、効くかどうか以前に、山で起きていることには、菌をいじっても手が届かないという点にある。
整腸剤がいじれるのは、腸内細菌のバランスだ。一方、縦走で便を止めているのは——もう一度言うが——脱水・我慢・食事リズムという、もっと機械的で物理的な要因。蛇口が閉まっているのに、水質改善剤を足しているようなものだ。だから「持っていっても、正直よくならん」という体感は、ものすごく筋が通っている。菌が悪いのではなく、手を入れる場所がそこじゃない。
整腸剤を否定したいのではない。普段から飲んで腸の調子を整える土台づくりには意味がある。ただ、山の現場で起きている便秘とガスの応急処置としては、優先順位がだいぶ下——そう理解しておくと、過度な期待でがっかりせずに済む。
山の腹を立て直す|水・水溶性繊維・"朝のリズム"で動かす
どこに手を入れればいいか分かれば、対策ははっきりする。派手な道具も特別な薬もいらない。効く理由ごと、順に見ていく。
まず水|便の硬さは、大腸との「水の奪い合い」で決まる
大腸の仕事のひとつは、送られてきた内容物から水を回収することだ。体が脱水に傾くと、大腸は便からも容赦なく水を搾り取る。だから水が足りないほど、便はカチカチに乾いて動かなくなる。山の便秘の半分は、ここで決まる。
コツは量より頻度。喉が渇いてからでは、もう回収が始まっている。少量をこまめに——歩きながら飲めるチューブ式なら、その頻度を保ちやすい(歩きながら飲むと脱水しにくい理由)。汗で失うのは水だけでなく塩分もなので、行動が長い日は電解質も一緒に(発汗量から逆算する水分・電解質計画)。そして次の繊維の大前提——繊維は、水とセットで初めて効く。水が足りないまま繊維だけ増やすと、かえって詰まる。
繊維は「水を抱く水溶性」から|不溶性は水不足だと逆効果
食物繊維には二種類あり、山では役割がはっきり違う。
行動食を甘いものだけで固めず、水に溶ける水溶性繊維を足しておくと、水分と一緒に繊維を補える。粉末を飲み物に混ぜるだけのタイプが手軽だ。
ドライフルーツが効くのは繊維だけじゃない|プルーンの"食べる浸透圧"
行動食に混ぜるドライフルーツでも、プルーン(ドライプラム)といちじくは別格だ。理由は、繊維に加えてソルビトールという糖アルコールを多く含むから。
ソルビトールは小腸でほとんど吸収されず、大腸まで届いて腸に水を引き込む。さきほどの「水で便をやわらかくする」を、食べ物が肩代わりしてくれるわけだ。これは後で出てくる便秘薬(酸化マグネシウム)の浸透圧作用と、原理としては同じ方向を向いている。実際、臨床試験ではプルーンが定番の繊維サプリ(オオバコ=サイリウム)と同等以上に便をやわらかくした、という報告もある。水溶性繊維+ソルビトール+ポリフェノールの合わせ技だ。
「行動食にひと握り」で仕込める、いちばん自然な一手になる。
"朝のリズム"を味方にする|胃結腸反射と、我慢しない技術
便を「出す」きっかけにも、仕組みがある。胃結腸反射——胃に食べ物が入ると、その刺激で大腸が動き出す反射だ。とくに一晩空けたあとの朝食後にいちばん強く働く。つまり、朝しっかり食べて温かい飲み物を流し込むと、もよおしが来やすい。コーヒーが効くのもこの反射を後押しするからだが、カフェインの摂りすぎは脱水で逆を引くので、水とセットで。
あとは、来た合図を逃さないこと。便意は見送ると引っ込む。朝のもよおしを習慣にして、トイレのある幕営地を行程に組み込む。「行きたいのに行ける場所がない」をなくすだけで、我慢の回数は激減する。最後の保険として、いつでも"行ける場所"を持っておくのも効く。
それでも詰まったら|薬は最後の手段として
ここまでやっても出ないときの薬は、最後の手段として頭の隅に。便秘薬にもタイプがあり、腸に水を引き込んで便をやわらかくする浸透圧タイプ(酸化マグネシウム系)は、脱水で硬くなった山の便と原理が合う(プルーンのソルビトールと同じ方向の作用を、薬で起こすイメージだ)。ただし体質や持病(腎臓など)で向き不向きがあるので、常用や山での使用は、事前に薬剤師か医師に相談したい。
テント場のエチケットと、おならの落としどころ
最後に、いちばん人類が悩んでいる現実問題。隣のテントとの距離だ。
身も蓋もないが、「すかし」で完封しようとするより、出る場所と時間を作るほうが、お腹にやさしい。テントから少し離れて風上に立つ、トイレに行くついでに解放する、撤収で人が動く朝の時間にまぎれさせる——物理法則にお尻で抗い続けるより、よほど健康的だ。膨らんだガスを夜通し抱えて眠るのは、安眠の質まで下げる。
そもそも、標高3,000mで出物が増えるのはお互いさま。隣のテントの住人も、たぶん同じ物理法則と静かに戦っている。少しだけ寛容になれる知識でもある。
あの夜の僕は、物理法則に勝とうとしていた。お尻ひとつで、ボイルの法則に。勝てるわけがない。
腸は、黙らせる相手じゃない。なだめる相手だ。水を流し込み、繊維に水を抱かせ、朝のもよおしは隣のテントに小さく会釈して、堂々と離席する。——たぶんそれが、山でいちばん効く整腸法だ。菌に祈るより、ずっと。