- グリップの正体は2つしかない|「くっつく力」と「揺さぶられて減る力」
- 濡れた平らな岩がいちばん滑る物理|水は「くっつき」を消し、岩の凹凸まで埋める
- よく効くゴムほど早く減る理由|硬さと、すり減りのトレードオフ
- モンベル トレールグリッパーは「独自ゴム」|濡れた木道のために配合された日本製コンパウンド
- Vibramが世界標準になった理由|1937年の遭難から生まれた「食うゴム」とMegagrip
- ではなぜ「あの高評価ソール」で滑ったのか|ゴムの優劣より、ラグ形状と地形のミスマッチ
- トレールグリッパーもVibramも滑る場所がある|濡れた苔・木の根・凍結という限界
- まとめ:自分の山の「濡れ方」でゴムを選ぶ
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雨上がりの木道。表面がぬらりと光っていて、一歩ごとに「あ、これ滑るやつだ」と身構える。実際、同じ濡れた板の上で、隣を歩く人がツルッと足を持っていかれることがある。なのに、足元のゴムが違うだけで、同じ場所で踏ん張りが効く。
僕がモンベルの登山靴を履き始めたのはツオロミーブーツからで、それからもう何足か履き継いでいる。ソールの「トレールグリッパー」が濡れた岩や木道でぐっと粘る感触には、毎回ちょっと驚く。Vibram(ビブラム)のソールも同じで、ほかの靴なら足を取られる斜面で、しれっと立っていられる。
ここで素朴な疑問が湧く。どれも同じ「ゴム」のはずだ。なのに、なぜ滑る靴と食いつく靴に分かれるのか。
先に一つ、思い込みを外しておきたい。「よく滑る」と言われるソールの中には、世界的にグリップ評価が高いゴムすら混じっている。つまり「良いゴム vs 悪いゴム」という単純な話では説明がつかない。グリップの差は、ゴムの良し悪しだけでは決まらない——その正体を、摩擦の物理までさかのぼって一枚ずつはがしていく。
この記事に出てくる2つのゴムには、それぞれ分かりやすい代表格がある。先に挙げておく。
グリップの正体は2つしかない|「くっつく力」と「揺さぶられて減る力」
ゴムが地面をつかむ力は、見た目の複雑さに反して、たった2つの足し算で説明できる。
ひとつめは凝着(ぎょうちゃく)。ゴムと岩の表面が、分子レベルでぺたっとくっつこうとする力だ。粘着テープを思い浮かべるといい。ツルツルに磨かれた面ほど、ゴムが面いっぱいに密着できるので、この「くっつき」がよく効く。
ふたつめはヒステリシス。聞き慣れない言葉だが、中身は単純で「ゴムが地面の凸凹に揉まれて、その分のエネルギーを熱として失う」現象だ。岩のザラザラした突起がゴムを押し込み、ゴムがぐにゃりと変形して、元に戻りきらない。この「変形して損する」分が、滑ろうとする動きにブレーキをかける。ザラついた岩でゴムが効くのは、主にこっちだ。
この2つの配分を頭に入れておくと、後の話がぜんぶつながる。濡れると何が起きるのか。柔らかいゴムがなぜ食うのか。そして、なぜ高評価のゴムでも特定の場面でだけ滑るのか——全部、この「くっつき」と「揺さぶられ損」のどちらが、どれだけ削られるかの問題だ。
濡れた平らな岩がいちばん滑る物理|水は「くっつき」を消し、岩の凹凸まで埋める
濡れた岩が怖いのは、感覚的には誰でも知っている。だが「なぜ」を分解すると、水は二段構えでグリップを奪っていることがわかる。
一段目:水が「くっつき」を遮断する。 ゴムと岩のあいだに水の膜が一枚入ると、分子どうしが直接ふれあえなくなる。凝着はほぼゼロになる。粘着テープを濡らすとくっつかないのと同じだ。
二段目:ここが本題で、水は「揺さぶられ損」まで奪う。 岩の表面には目に見えない無数の小さな窪みがある。乾いていれば、ゴムはこの凹凸に揉まれてヒステリシスを稼げる。ところが窪みに水が溜まると、その水が凹凸を埋めて表面をつるりと平らにならしてしまう。揺さぶる相手がいなくなれば、ヒステリシスも稼げない。
つまり濡れた岩では、グリップの2本柱が両方とも痩せる。ゴム摩擦の研究では、この「水が表面を平滑化してしまう効果」によって、濡れた岩のグリップは乾いたときに比べておよそ2〜3割落ちると見積もられている。これは単に水で滑るというより、地面そのものが「のっぺり」した別物にすり替わる、という話だ。
ソールに刻まれた溝(ラグ)や、細い切れ込みが意味を持つのはここだ。タイヤの溝と同じで、ゴムと岩のあいだの水を横へ逃がす役目を負っている。水を逃がして、ゴムを岩に直接ふれさせて初めて、ゴムの素性が効いてくる。グリップは「ゴムの配合」と「水のさばき方」の合わせ技——この視点を持っておいてほしい。
よく効くゴムほど早く減る理由|硬さと、すり減りのトレードオフ
ここまでで「柔らかいゴムが有利そうだ」と感じたなら、その勘は正しい。
柔らかいゴムは、岩の細かい凹凸にぐにゃりと順応して、接する面積を稼ぐ。くっつきも、揺さぶられ損も、ゴムが面いっぱいに地面をなめるほど大きくなる。クライミングシューズのソールがやたら柔らかいのは、この「面で密着させて食わせる」ためだ。
ところが、よく食うゴムは必ず代償を払う。柔らかくて食いつくゴムほど、早くすり減る。 これは配合の妙でごまかせる範囲はあっても、物理的には逃げられないトレードオフだ。よく効く=よく削れる。「グリップも耐久も最高」という都合のいいゴムは存在しない。
ゴムの硬さは「デュロメータ(ショアA)」という単位で測る。参考までに、クライミング用ゴムはおおむね60〜85の狭いレンジに収まり、数字が小さい(柔らかい)ほどグリップ寄り、大きい(硬い)ほど耐久寄りになる。同じメーカーの中でも、エッジを立てて立ち込む用の硬いゴムと、面で粘らせる用の柔らかいゴムを、用途で打ち分けている。
もうひとつ、タイヤ業界からの借り物の知恵がある。濡れた路面でよく効くゴムとは、言い換えると「よく揺さぶられて、その分を熱に変えるのが得意なゴム」だ。タイヤメーカーはここに「シリカ」という素材を練り込むことで、濡れたときのグリップだけを選んで持ち上げる配合を編み出した(1990年代のミシュランがよく知られる)。登山靴のソールゴムも、原理としてはこの延長線上にある。「ただ柔らかい」のではなく、「どの場面でどう損をさせるか」を配合で狙い撃つ世界だ。
そして——ここからが本題。この「配合の狙い撃ち」を、日本の山に合わせて振り切ったのが、モンベルのトレールグリッパーだ。
モンベル トレールグリッパーは「独自ゴム」|濡れた木道のために配合された日本製コンパウンド
最初に、混同されがちな事実を一つ。トレールグリッパーは、Vibramではない。モンベルが自社で配合した独自のゴムだ。Vibramソールの靴を作っているメーカーが、別ラインで独自ゴムも持っている——この構図を押さえると、話がすっきりする。
モンベルの説明によれば、トレールグリッパーは「接地面との密着性を高める独自配合のコンパウンド」で、岩肌の微細な凹凸に食い込ませることを狙っている。注目したいのは開発の目標で、公式には「渇いた路面はもちろん、濡れた岩場や木道でも滑りにくい」グリップを目指した、と明記されている。
これは日本の山の事情にぴたりと噛み合う。雨が多く、湿度が高く、苔むした岩と濡れた木道がそこら中にある。前のセクションで見たとおり、濡れた面はゴムの「くっつき」と「揺さぶられ損」を同時に削る、いちばん難しい相手だ。そこを正面から狙って配合された、という出自そのものが、僕が濡れた木道で感じる「妙に粘るな」という感触の裏づけになっている。
思い返すと、いちばん最初の一足、ツオロミーブーツを買おうとしていた頃は、モンベルがまだ登山靴に本腰を入れて間もない時期だった。掲示板で相談すると、返ってきたのははっきり「モンベルはやめとけ、靴は専門のメーカーにしておけ」という声だった。その助言は、あの時点では筋が通っていたと思う——登山靴は実績の積み重ねがものを言う世界で、参入して間もないメーカーに賭けろとは、確かに言いにくい。それでも履き続け、二足目にアルパインクルーザー800のレザーを選び、いまも履き継いでいるのは、濡れた木道や下りの岩で足を取られない、というこの一点が毎回きちんと応えてくれたからだ。トレールグリッパーは、そうやってモンベルが靴づくりの足場を固めていくための、地味だが確かな土台の一つだったように、いまになって思う。
数字でも傾向は出ている。モンベル自身は、湿潤状態の摩擦係数で一般的なソール用ゴムの約1.5倍という試験結果を公表している。ただしこれはメーカーによる自社比較なので、額面どおりではなく方向性として読むのがいい。
第三者の数字でも傾向は裏づく。登山メディアのYAMA HACKが行った傾斜の計測実験では、板を少しずつ傾けて滑り出す角度を比べたところ、一般的なラバーソールが30度で滑り出すのに対し、トレールグリッパーは濡れた岩で39度までこらえ、43度でようやく滑り出したという結果が出ている。乾いた岩なら43度でもグリップは残っていた。あくまで一例の試験ではあるが、「濡れに振った配合」という設計の狙いが、メーカー公称と独立した計測の両方で、角度や係数の差になって現れている。
柔らかいゴムは早く減る、というトレードオフは前述のとおりだが、モンベルは「配合に工夫を凝らして、既存のソールと同等の摩耗強度を確保した」と主張している。ここは独立した実測データが乏しく、額面どおり受け取るより「メーカーの狙い」として見ておくのが正直なところだ。よく食うゴムが本当にすり減りにくいのかは、長く履いてみないとわからない。
ソールパターンも自社で作り分けている。岩稜を歩く本格登山向けはブロックを大きく溝を深く、トレッキング向けは細かいブロックで多方向に効かせつつ足裏感覚を残す——という具合に、「ゴムの配合」と「水のさばき方」の両輪で攻めているわけだ。
Vibramが世界標準になった理由|1937年の遭難から生まれた「食うゴム」とMegagrip
もう一方の主役、Vibramに話を移す。トレールグリッパーが日本の湿った山に最適化した独自ゴムなら、Vibramは世界中の登山靴の足元を事実上の標準として支えてきたゴムだ。
始まりは事故だった。1935年、イタリアアルプスで遭難した登山隊が、当時の薄い革底・フェルト底の靴で凍えて滑り、6人が命を落とす。その隊にいたヴィターレ・ブラマーニが「凍った岩でも食いつくソール」を志して、1937年にゴムのラグソールを完成させる。戦車のキャタピラから名を取った「カラーマト」と呼ばれるパターンで、加硫したゴムに深い溝を刻み、トラクションと耐摩耗を両立させた。ブランド名の「Vibram」は、ヴィ(VI)・ブラ(BRA)・マ(M)——彼の名前そのものだ。
このゴムは1954年のK2初登頂隊にも採用され、世界へ広がっていく。いまや1,000を超えるシューズメーカーがVibramソールを採用し、年に数千万足が世界の足元に届いている。「最初のクライミング用ゴムソール」という先行者の資産と、膨大な配合の蓄積、それを支える規模——これが、Vibramが多くのブランドの靴に供給される定番ゴムになった理由だ。
Vibramの配合は一系統ではなく、用途ごとに別物が用意されている。氷上に振った「Arctic Grip」、濡れた岩に特化した「Idrogrip」、クライミングのエッジ用に硬く仕上げた「XS Edge」、面で粘らせる柔らかい「XS Grip2」——という具合だ。その中で、登山・トレイルランの汎用として最も広く使われているのがMegagrip(メガグリップ)で、乾湿どちらでも外しにくいバランス型として評価が高い。深いラグと組み合わせて水をさばきつつ、柔らかめの配合で面の食いつきを稼ぐ。前のセクションで見た「配合×水さばき」の合わせ技を、汎用レンジで器用に束ねた一枚だと言っていい。
このMegagripを実際のトレランシューズに載せ替えると足元がどう変わるかは、ゼロドロップのトレイルランシューズがウェットグリップを手に入れた更新を一足分まるごと見た記事で、ラグ形状の作り直しまで含めて細かく追っている。ゴム単体ではなく「靴一足としての効き方」を知りたいなら、そちらが具体的だ。
ではなぜ「あの高評価ソール」で滑ったのか|ゴムの優劣より、ラグ形状と地形のミスマッチ
ここで冒頭の疑問に戻る。トレールグリッパーやVibramが食いつく一方で、「よく滑る」と言われるソールがある。冒頭で釘を刺したとおり、その中には世界的にグリップ評価の高いゴムも含まれる。では何が起きているのか。
答えは、ゴムの優劣ではないことが多い。滑りの正体は、たいていラグ形状と地形のミスマッチ、用途違い、そして履き方にある。
いちばん効くのが、背の高いラグの罠だ。深く尖ったラグは、泥や雪のような柔らかい地面には深々と食い込んで頼もしい。ところが相手が濡れた一枚岩のように硬くて平らだと、接地するのは数本のラグの先端だけになり、本来食わせたいゴムの面が宙に浮く。極端な場合、ラグのあいだの土台が岩に当たって、かえって滑る。柔らかい地面で頼もしいラグが、硬い濡れ岩では足を引っ張る——同じ靴で起きる正反対の現象だ。硬く平らな岩では、むしろ浅めのラグでゴムをべったり接地させたほうが食う。
次が用途違い。同じブランドでも、クライミング用・アプローチ用・トレイル用でゴムもラグも別物だ。岩を登るための神がかったゴムを、ラグの生えたトレイル靴に重ねて期待すると、評価がずれる。「あのブランドは岩で最高なのに、山道では滑った」は、たいていこのすれ違いだ。
そして履き方。濡れた急斜面では、かかとから突っ込むほど接地が点になって滑る。前足部にそっと体重を乗せ、ゴムを面で当てにいくと、同じ靴でも食い方が変わる。グリップの何割かは、靴ではなく歩き方の側にある。
トレールグリッパーやVibram Megagripが「外しにくい」のは、飛び抜けて食うゴムだからというより、汎用の地形(土・岩・濡れ・下り)でゴムの配合とラグの水さばきがバランスよく噛み合うように作られているからだ。尖った一点突破ではなく、平均点の高さ。日本の山を雑多に歩く人にとっては、この平均点の高さこそが「滑らない」という体感の正体に近い。
トレールグリッパーもVibramも滑る場所がある|濡れた苔・木の根・凍結という限界
ここまで持ち上げてきたが、「滑らない」と言い切るのは正確ではない。どちらのゴムにも、物理的にお手上げになる場所がある。北極星は弱点も書くことなので、正直に並べておく。
濡れた苔と濡れた木の根は、トレールグリッパーでも普通に滑る。実際にモンベルの靴を愛用する人のあいだでも「濡れた木の根はやや注意」「濡れた苔の上は危険、沢靴の代わりにはならない」という声は珍しくない。前述のとおり、つるつるに濡れた面はくっつきも揺さぶられ損も同時に消える。これはゴムの限界というより、物理の限界だ。
Vibram Megagripも同じで、汎用では最も外しにくい部類だが「絶対に滑らない」わけではない。専門のレビューでは、濡れて磨かれた石灰岩や濡れた木の根では、クライミング用の柔らかいゴムに食いつきで譲る場面があると繰り返し指摘されている。汎用バランス型ゆえに、特定のいやらしい濡れ面では、その面に振り切った専用ゴムに一歩及ばない。
低温もゴムの敵だ。ゴムは冷えると硬くなり、食いつきが落ちる方向に働く。象徴的なのがモンベル自身の使い分けで、保温材を入れた本格的な冬靴であるアルパインクルーザー2800・3000には、トレールグリッパーではなくVibramソールが採用されている。公式が理由を明言しているわけではないが、冷える環境ではゴムの選び方そのものを変えている、という事実は読み取れる。
そして、ゴムでどうにもならない相手もいる。凍結だ。ツルツルに凍った斜面は、どんな高性能ゴムも面で噛めない。ここは足裏に金属の爪を足す領域で、ゴムでは止まらない凍結斜面に何を足すかを歯数と出番で並べた記事に詳しい。ゴムの話と地続きで、「どこからゴムを諦めるか」の線引きとして読んでもらえると、この記事の続きになる。
まとめ:自分の山の「濡れ方」でゴムを選ぶ
グリップは、ゴムの良し悪しという一本の物差しでは測れない。「くっつき」と「揺さぶられ損」の足し算で生まれ、濡れと低温に削られ、ラグ形状と地形の相性で大きく振れる。同じゴムが、ある場所では食い、別の場所では滑る。
そのうえで、トレールグリッパーとVibram Megagripに共通するのは、「尖った一点」ではなく「汎用の平均点の高さ」を取りにいった配合だということだ。トレールグリッパーは日本の濡れた木道と岩へ、Vibram Megagripは世界中の雑多なトレイルへ——向いている先は少し違うが、どちらも「いろんな場所でそこそこ外さない」を狙って作られている。だから僕が濡れた木道でしれっと立っていられるし、世界中のハイカーがVibramを信頼する。
逆に言えば、自分の山がいつも同じ顔をしているなら、汎用より専用が刺さる。濡れた一枚岩ばかりなら柔らかいクライミング寄りのゴム、泥と雪が深いなら背の高い深ラグ、凍結が絡むなら金属の爪。「自分の足元はどんな濡れ方をするか」を一度言葉にしてみると、選ぶべきゴムが見えてくる。
濡れた木道で足が持っていかれた、あの冷や汗。あれは運でも腕でもなく、足の裏で起きていた小さな物理だった。正体がわかれば、次に靴を選ぶときの物差しが、一本増える。