- 低体温症は「寒さ」の病気ではない|体温は収支で決まる
- 止まった瞬間に何が起きるか|転換点は「休んだところ」にある
- 熱を奪う4つの経路|秋の山ではどれが効くか
- 夏と秋、それぞれの「ズレ」が事故を作る
- 深部体温と症状|ふるえが消えたら、境界を越えている
- 現場でやることは、収支の両側を同時に押さえること
- 奪われる側を断てたかどうかが、分かれ目になった
- 「休む」と決めたときに、同時に決めること
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2023年10月6日、那須連峰の朝日岳で遭難が起き、翌7日の朝、登山道の付近で男女4人が遺体で見つかった。60代から70代の4人で、死因はいずれも低体温症だった。
ひとまとまりのパーティが遭難したのではない。動けなくなった60代男性2人組と、稜線で倒れているところを見つかった別の3人パーティ——複数の遭難が、同じ日の同じ稜線で重なっている。最初の通報は6日の昼過ぎ、電波の届く場所まで移動してから入った。
助かった人は、当日の稜線をこう語っている。
小石が舞うほどの強風で立っていられず、岩をつかんで四つんばいで這った。
山岳気象の解析では、朝日岳の山頂付近は午前中から平均15m/sを超え、午後には平均25m/s以上と見積もられている(山頂に風速計があるわけではないので、これは実測ではなく解析値だ)。10月の、標高1,896mの山でのことだった。
低体温症を「真冬の、雪山の話」だと思っていると、この事故は読み解けない。実際には夏でも秋でも起きるし、気温そのものより効いている要因がある。
そして、いちばん誤解されているのはここだと思う。低体温症は寒さに耐えられなくなって起きるのではない。体が熱をつくる側が止まったときに起きる。だから「疲れたから少し座ろう」「仲間を待とう」という、それ自体はまっとうな選択が、転換点になりうる。
この記事は一般向けの情報で、診断や治療の指示ではない。低体温症が疑われる状態は自己判断で粘る場面ではなく、早い段階での救助要請と搬送が必要になる。
低体温症は「寒さ」の病気ではない|体温は収支で決まる
結論から言えば、深部体温は「つくった熱」と「奪われた熱」の引き算で決まる。低体温症とは、この収支がマイナスに振れ続けて深部体温が35℃を下回った状態を指す。気温が何度か、ではない。
体温を保つ側には、二つの入り口しかない。
- 運動——歩いていること自体が暖房になっている。安静時のおよそ100ワットに対し、行動中はその5〜8倍。運動強度の単位であるメッツでも、荷物4kg程度までの登山で6.5、テント泊装備を背負った縦走で8.3と、同じ桁の数字が出る
- 食べ物——その燃料になるグリコーゲンは、肝臓と筋肉に限られた量しか貯蔵できない。長時間行動するなら、繰り返し口に入れないと切れる
- ふるえ——体温が落ち始めると、意識と無関係に筋肉が震えて熱をつくる。これは非常用の発電機のようなもので、燃料が尽きれば止まる
この三つが揃っているうちは、多少寒くても体温は保たれる。逆に言えば、歩くのをやめ、何も食べず、ふるえが止まった状態が、収支のいちばん悪い組み合わせになる。
そして大事なのは、止まったときに消えるのは「つくる側」だけだということだ。風は吹き続けるし、濡れた服は乾かない。奪われる量はほとんど変わらないまま、5〜8倍あった熱産生が1に戻る。
この「熱源が消える」瞬間をウェア側から扱ったのが行動中に着る保温着の考え方で、脱ぎ着の手間そのものを減らす方向の答えになっている。
止まった瞬間に何が起きるか|転換点は「休んだところ」にある
結論から言えば、低体温症が急に進むのは、たいてい行動を止めた直後だ。歩いているあいだは自分の熱で持ちこたえていたものが、止めた途端に収支が反転する。
2009年7月のトムラウシ山の遭難で、生存者はこう証言している。
北沼渡渉点を過ぎて立ち止まったところで、体が一気に冷え込んできた。腕で押さえても止まらないほど全身が震え、歯がガチガチ鳴った。
この事故を医学面から分析した講演資料(船木上総医師による2010年の講演)は、この局面に「休憩直後の歩き始めに要注意」という見出しを立てている。止まった時点ではまだ持ちこたえていても、休んでいるあいだに体は冷え続ける。だから異変は、止まった瞬間ではなく動き出したときに表面化することが多い。渡渉で濡れ、風にさらされ、そこで立ち止まる——熱を奪う条件が最大のときに、熱をつくる側だけが止まっていた。
いちばん身近な例は、遭難の場面ですらない。登りで汗をかき、稜線に出たところで立ち止まる——日帰りでも毎回やっていることだ。濡れた服のまま、風の当たる場所で、熱産生だけを止める。低体温症の条件が、規模を小さくして毎回成立している。ふだんは行動を再開するから何も起きないだけで、そこで動けなくなる理由が一つ足されれば、同じことが起きる。
ほかにも、この組み合わせが成立する場面は多い。
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道迷いで立ち止まって地図を見ている時間
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仲間の到着を待っている時間
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渡渉や雨で濡れた直後の休憩
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登り切った稜線で風に当たりながらの行動食休憩
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救助を要請して、その到着を待っている時間
どれも判断としては正しい。正しいのだが、「止まる」という選択には熱の収支が付いてくることは、意識しておいたほうがいい。止まるなら、同時に奪われる側も止めにいく必要がある。
熱を奪う4つの経路|秋の山ではどれが効くか
結論から言えば、熱を奪うのは対流(風)・蒸発(濡れ)・放射(低温)・伝導(接触)の四つ。このうち山で桁が変わるのは、風と濡れだ。
| 経路 | 何が奪うか | 山での断ち方 |
|---|---|---|
| 対流 | 風。空気が動くほど熱が運び去られる | 防風層を着る。稜線から下りる、風下に回る |
| 蒸発 | 濡れ(雨・汗・渡渉)。水が蒸発するとき熱を持っていく | 濡らさない。濡れたら着替える |
| 放射 | 周囲との温度差。体から赤外線として出ていく | 保温着を重ねる。シェルターに入る |
| 伝導 | 触れているもの。岩・地面・水・金属 | 地面に直接座らない。マットを敷く |
濡れが効くのは、実は上の表の一つの経路にだけ効くからではない。伝導と蒸発の両方を、同時に悪化させるからだ。
まず伝導。水の熱伝導率はおよそ0.6 W/(m·K)、乾いた空気はおよそ0.024〜0.026 W/(m·K)で、水は空気の25倍ほど熱を通す。
衣類が暖かいのは、繊維そのものではなく繊維が抱えこんだ動かない空気が断熱しているからだ。そこに水が入ると、空気が押し出されて水に置き換わる。25倍熱を通す物質に入れ替わるのだから、断熱は成り立たなくなる。濡れた服を着ているのは、保温着を脱いでいるのに近い。
そして濡れた服は、そこから蒸発もする。断熱が消えたうえに、蒸発で熱を持っていかれる。ここに風が加われば、蒸発はさらに加速する。トムラウシで起きていたのは、この重ね掛けだった。
夏と秋、それぞれの「ズレ」が事故を作る
結論から言えば、どちらの季節も原因は気温そのものではない。前の章で見た収支が崩れる条件が、季節ごとに違う入り口から成立してしまう——そのズレが事故を作る。
夏のズレ|暑いはずの日に、濡れと風だけが揃う
トムラウシの遭難は7月に起きている。真夏だ。それでも起きるのは、夏には夏の入り口があるからだ。
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暑いから油断する——保温着とシェルを「今日は要らない」と置いてくる判断が、いちばん通りやすい季節
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汗で濡れる——雨が降らなくても濡れる。登りでかいた汗は、稜線に出た瞬間に蒸発の材料になる
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標高で気温が落ちる——登山口が30℃でも、標高を1,500m上げれば10℃近く下がる。そこに風が加わる
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悪天が激しい——梅雨明け前後から盛夏にかけての大荒れは、気温が高くても風と雨の量で収支を反転させる
秋のズレ|装備と時間だけが夏のまま残る
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装備が夏のまま残る——8月に不要だった保温着とシェルを、9月も同じ感覚で置いてくる。標高を上げれば気温は夏より確実に低い
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日没が早い——同じコースタイムで歩いても、下山が暗さと冷え込みに間に合わなくなる。行動が延びた分だけ、寒い時間帯に体を晒す
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風が強まる季節に入る——那須の事故当日、朝日岳山頂付近は午後に平均25m/s以上と見積もられている。稜線に出た瞬間に条件が変わる
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紅葉で人が増える——入山者が増えれば、条件の悪い日に稜線へ出る人の数もそのぶん増える
夏と秋で、置いてくる理由が違うだけだ。夏は「暑いから」、秋は「去年の夏と同じ感覚で」。結果として稜線でシェルを持っていない、という状態は同じになる。
そして低体温症は、思っているより速い。トムラウシの分析資料では、出発後に低体温症に至るまでの時間を「天気が悪いと5〜6時間、絶悪の天気の場合は1〜2時間」と見積もっている。1〜2時間というのは、稜線を渡り切る前に条件が揃ってしまう長さだ。
判断としては、天候が崩れる前に引き返す話につながる。この線引きは停滞と撤退をどう分けるかという別記事で詳しく書いた。
深部体温と症状|ふるえが消えたら、境界を越えている
結論から言えば、ふるえが止まるのは回復ではなく悪化だ。ただし逆は言えない。ふるえていても、受け答えがあやしければ、もう自分たちで温め直せる段階ではない。
深部体温と症状の対応は、山岳医療の資料でおおむね次のように整理されている。ただし数字は目安で、区切りのとおりに症状が出るわけではない。
| 深部体温(目安) | 現れること |
|---|---|
| 36℃ | 基礎代謝が上がる |
| 35℃ | ここから低体温症(軽度)。ふるえが出て、判断力が落ちはじめる |
| 34℃ | 健忘、ろれつが回らない |
| 33℃ | まっすぐ歩けない、意識が落ちる |
| 32℃ | ここから中等度。ふるえは32〜33℃あたりで最も強くなる |
| 31℃ | 血圧が測れない。ふるえはまだ強いことがある |
| 30℃ | 心房細動、筋が硬直する。ふるえはこのあたりで止まる |
| 29℃ | 瞳孔が開く、心室細動 |
| 28℃ | ここから重症。多くは意識がなく、ふるえもない |
| 27℃以下 | 深部反射が消える、心停止 |
- ふるえは、思っているより下まで続く。いちばん強くなるのが32〜33℃あたりで、31℃でもまだ強いことがあり、完全に止まるのは30℃近くまで落ちてから、ということもある。「まだふるえているから軽い」とは言えない
- 体温の区切りは、そのとおりには出ない。実際の症例を集めた分析では、段階どうしが大きく重なっていた。「意識がはっきりしていて、ふるえもある」と判定された人の実測が28.1℃だった例があり、これは区切りの上では中等度のいちばん下、重症との境目にあたる
- だから、ふるえだけを見ない。山岳・野外医療の国際的なガイドライン(Wilderness Medical Society、2019年改訂)は、ふるえていても意識に異常があるなら、軽度ではなく中等度として扱うよう求めている
下のほうの数字は、読んでも現場でできることが増えるわけではない。おおむね32℃を切ったあたりから下は、体が自分で温め直す力が働かなくなる。そこから先は医療の領域だと押さえておけば足りる。自分たちの判断が要るのは、その手前だ。
そして現場で深部体温は測れない。脇や口で測っても、それは体の表面に近い温度であって、脳や心臓の温度ではない。だから見るのは数字ではなく、振る舞いになる。
- ふるえていたのに、止まった——暖まったのではなく、つくれなくなった可能性がある
- 受け答えがかみ合わない、同じことを繰り返す、ろれつが回らない
- まっすぐ歩けない、立てない、転倒が増える
- 無関心になる、寒がらなくなる、「もう大丈夫」と言い出す
- 眠いと言う、どうでもよくなる
このリストに当てはまったら、温めながら下ろすことを考える前に、救助を要請する。 意識や歩行に異変が出ている相手を自力で下ろすのは、多くの場合もう選べる手ではない。そして冷え切った相手を、乱暴に揺すったり急に立たせたりしない。動かし方そのものが負担になる。要請したうえで、風を切り、地面から離し、濡れを外して待つ。
判断力の低下は35℃、つまり低体温症の入口ですでに始まっている。これが厄介なところで、「自分で気づいて自分で対処する」という前提が、いちばん必要な段階で崩れる。だから低体温症は、本人よりも同行者が気づく前提で考えたほうがいい。
現場でやることは、収支の両側を同時に押さえること
結論から言えば、熱をつくる側を止めない/奪われる側を断つ、の二つを同時にやる。片方だけでは追いつかない。
奪われる側を断つ|四つの経路に、一つずつ道具を当てる
濡れた層を着たままでは、上に何を重ねても断熱が戻らない。まず濡れを外す。次に風を切る。座るなら地面に直接触れない。
熱を奪う経路が四つしかないということは、裏を返せば対策も四方向で足りるということだ。以下は「これが無いと、止まったときに打つ手が無くなる」という基準で挙げる。値段の高い順ではなく、効く順に並べた。
対流を断つ|風を切る一枚
稜線に出た瞬間に条件が変わる、というのはつまり対流の話だ。ウインドシェルは保温着ではないので単体では暖かくないが、風を止めた瞬間に、その下の層がやっと仕事を始める。夏でも秋でも、これを持っていないと稜線で打つ手がない。
蒸発を断つ|替えの乾いた層
「濡れたら着替える」は、着替えを持っている人にしか実行できない。日帰りでも上半身の替えを1枚。
放射を断つ|保温着と、頭と首
止まると決めたら着る。着てから休むのではなく、休む前に着る。順番が逆だと、暖まる前に体温のほうが先に落ちる。
頭と首は、面積のわりに効く。手足は寒くなると血流を絞って熱を守るが、頭ではその仕組みが働きにくい。しかも軽い。
伝導を断つ|地面から離れる
そして、手を守る
四つの経路のどれでもないが、ここが落ちると他の全部が実行できなくなる。ジッパーが上げられない、行動食の袋が開けられない、地図が出せない。手は道具ではなく、道具を使う側だ。
「今日はもう動かない」と決めたら
装備の段が一つ上がる。一晩を越すための選択肢は別にまとめた。
つくる側を止めない
食べる。ふるえも運動も、燃料がなければ続かない。行動食は「腹が減ったら」ではなく、時間で口に入れるほうが理にかなっている。温かい飲み物が持てるなら、なお良い。
トムラウシの生存者の一人は、こう振り返っている。
みんな疲れているようでしたが、こんな時こそ栄養を補給して体力を維持しなければなりません。私は「何でもいいから口に食べ物を入れましょう」と呼びかけたのです。でも、みんなそれどころじゃなかった。
呼びかけた本人が、その光景をいちばん覚えている。腹が減ってから食べるのでは間に合わない、というのはこういうことだ。目安を決めておくほうがいい。1時間に一度、量は少なくていいから必ず口に入れる——そのくらい機械的でないと、つらいときほど飛ばしてしまう。
奪われる側を断てたかどうかが、分かれ目になった
トムラウシの事故を報じた当時の記事は、生存者と亡くなった人の衣類の差を伝えている。生存した人には、強い雨に長時間うたれても雨を通しにくく、防寒機能のある厚手の上着を着ていた人が多かった。亡くなった参加者の側には、防寒・防水機能の低い薄いウィンドブレーカー程度しか持っていなかった人がいた。
ただし、この事故を「装備の差だった」で片づけるのは正しくない。事故調査報告書が主眼を置いたのは、悪天のなかで行程を進めた判断、引き返す機会を逃した経緯、ツアーとしての管理体制のほうだ。装備は、悪条件に長時間さらされることが決まってしまったあとの、最後の一枚でしかない。
それでも、その最後の一枚が効く局面はある。奪われる側を断てるかどうかは、持っているものでしか決まらないからだ。
- 防水シェル——撥水の落ちたシェルは風は切れても濡れは止められない
- 保温着——濡れる確率が高い山なら化繊が読みやすい
- 予備の乾いた層——濡れを外せなければ、断熱は戻らない
- 座るためのマット——伝導を断つ。数十グラムで効く
- 手袋と帽子——秋の稜線で最初に使えなくなるのは手だ。かじかむとジッパーも行動食の袋も開けられない=収支を直す作業そのものができなくなる
- 行動食——燃料。ふるえも運動も、これがないと続かない
- ツエルトかエマージェンシーシート——待つと決めたときに、風と放射を同時に切れる
保温着をダウンにするか化繊にするかは、その山でどれだけ濡れるかで変わる。判断の基準は濡れる確率から保温着を選ぶ話にまとめた。
僕はこの季節、マットとシートを同じ袋にまとめて雨蓋に入れている。ザックを下ろさずに、座る場所を作るところまで一手で終わるようにしておきたいからだ。止まってから探し始めると、探しているあいだも冷え続ける。
「休む」と決めたときに、同時に決めること
低体温症は、寒さに負けて起きるのではない。熱をつくる側が止まり、奪われる側だけが動き続けたときに起きる。だから危ないのは、寒い場所そのものより、寒い場所で止まることのほうだ。
止まると決めたなら、同じ瞬間に「風を切る」「濡れを外す」「地面から離れる」「口に入れる」も決める。それが一段階で終わるように、装備の側を先に組んでおく。
そしてもう一つ。判断力は35℃で落ち始める。自分の判断が鈍り始めたことに、自分では気づけない。だから同行者の様子——受け答え、歩き方、寒がらなくなったかどうか——を見るほうが、実は確実だ。あの人がおかしい、と思ったときには、たぶん自分も同じ環境にいる。
那須の稜線でその日、複数のパーティが同時に動けなくなった。同じ風に、同じ時間さらされていた人たちだ。誰か一人の判断の話ではなく、条件の話だったということだと思う。10月の、標高1,900mに満たない山で。