山道具ラボ

by Daringdaddy #山で使う道具の話 #軽さと快適さのあいだ #買う前に知りたかったこと

登山中に幻覚を見るのはなぜか|岩が顔に見えるのは正常、直らなくなったら引き返す

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霧の中で立ち枯れた木が人影に見える。遠くの岩が標識に見えて、近づいたらただの岩だった。稜線でヘッドランプを振ると、視界の端で何かが動く。

このくらいなら、たいていの登山者に覚えがある。そして、そのほとんどは何の問題もない。脳が正しく働いている証拠だからだ。

問題は、その先にある状態のほうだ。近づいても解釈が崩れない。「あれは顔だ」ではなく「あそこに顔がある」と確信したまま、何十メートルも歩き続けてしまう。

僕は2026年8月末、南アルプス南部の縦走初日に、その状態で数時間歩いた。岩に天狗の顔を見て、木肌に縦書きの文字を見た。どちらも、最接近するまで間違いだと気づけなかった。

この記事で扱うのは、その「気づけなさ」のほうだ。山で見えるはずのないものが見えたとき、どこまでが正常で、どこからが引き返す合図なのか。

夜明け前、霧の立ちこめる樹林帯。手前の幹は黒く、奥へいくほど霧に溶けて薄くなる
情報が減るほど、脳は手持ちの予測で埋めにいく。図:山道具ラボ

岩が顔に見えるのは正常な働きだ

雲が動物に見える。月の模様がうさぎに見える。壁のシミやコンセントの穴が顔に見える。心霊写真と呼ばれるものの多くも、これだ。

この現象には名前がついている。パレイドリアという。あいまいな形から、実際にはそこにない意味のあるもの、とくに顔を読み取ってしまう錯覚のことだ。

なぜ顔なのか。脳には顔を検出するための専用の回路があり、これが極端に反応しやすくできている。紡錘状回顔領域(ぼうすいじょうかいがんりょういき)と呼ばれる場所だ。ここは本物の顔を見たときだけでなく、ただのノイズ画像の中に顔を「見た」ときにも反応する。何も写っていない砂嵐のような画像を見せて「半分には顔が隠れている」と信じ込ませると、人は3割ほどの頻度で顔を「見る」。そのとき、この領域が実際に活動していることが、人の脳を撮影した実験で確かめられている。

面白いのは、これがヒト固有の癖ではないことだ。サルに、人間が顔に見えると感じる画像、たとえばナスやピーマンの表面を見せると、サルも同じ場所を、本物の顔を見るときと同じ順番で見る。顔を検出する回路は、種を越えて広く共有されている。

そして、いったん顔として認識してしまうと、認識する前の状態に戻すのは難しい。しかも、そこから表情まで読み取ってしまう。ただの模様なのに、悲しそうに見えたり、怒っているように見えたりする。

ここで大事なのは、健常なパレイドリアには二重性があるということだ。顔に見えている。同時に、それが岩だとわかっている。この二つが同時に成り立っている。

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あの日、天狗の顔は消えなかった

椹島(標高およそ1,100m)から千枚小屋(およそ2,600m)へ、1,500m上げる登りだった。4人パーティのテント泊縦走で、その初日にあたる。前夜に市販の睡眠改善薬を飲んで、午前2時に起きて、3時に歩き出した。歩き始めからあくびが止まらず、二日酔いに近い頭の重さがあった。

この日から始まった2泊3日の全行程を、悪沢岳と赤石岳の山行記で読む

登りの途中で、岩に顔がついていた。

天狗だ、と思った。なぜ天狗だと思ったのかは、今でも思い出せない。ただ、そう確信していた。鼻の高い顔が、こちらを向いている。「顔に見えるな」ではなく「顔がある」だった。一度そう見えると、視線を外して戻しても、まだそこにある。

近づいていくと、天狗は消えなかった。消えたのは、天狗だという認識のほうだった。

像は最後まで視界にあった。岩の凹凸も、影の落ち方も、何も変わっていない。変わったのは僕の側で、「これは天狗だ」という解釈が、輪郭のあいまいなまま薄れて、いつのまにか無くなっていた。逃げ水に近い。追いつくと、そこには何もない。

文字のほうは、一度きりではなかった。

縦書きの文字が書かれている、と思う。彫ってあるのではなく、書いてある。そう認識していた。読めるはずだ、と思って近づく。近づくと、読めそうで読めない。もう少し近づけば読める、と思ってさらに近づく。最接近して、ようやく気づく。そもそも文字ですらなかった。

これを、登りのあいだじゅう、体感で数十回くり返している。

いま振り返ると、見えたことより回数のほうが怖い。一度だけなら、ただの見間違いだ。だが二度目には「さっきも違った」と思い出せるはずで、三度目にはもっと疑えるはずだ。実際にはそうならなかった。毎回まっさらな気持ちで「今度こそ読める」と思って近づいている。間違いが一回ぶんも積み上がらなかった。

天狗も文字も、崩れ方は同じだった。像は最後まで視界にあり、崩れたのは解釈のほうだ。そして、崩れるまでの時間が異常に長かった。ふつうなら一瞬で済むところが、この日は最接近するまでかかっている。しかもそれが、何十回くり返しても短くならなかった。

同じものを見た人は、昔からいる。伊豆の佛現寺には「天狗の詫び証文」と呼ばれる巻物が寺宝として伝わっていて、長さおよそ3メートル、約2,900字。その文字は今も解読されていない。文字の形をしているのに読めないものを、昔の人は天狗の仕業として記録した。僕は薬の持ち越しとして記録している。記録の枠組みが違うだけで、見ているものはたぶん、そう変わらない。


山で報告される見え方の型

僕が見たのは天狗と、何度もくり返した文字だったが、山で報告される見え方には、ある程度決まった型がある。すべてが同じ仕組みで起きるわけではない。まず、自分の体験がどこに当たるかを見つけてほしい。

実在するものの解釈違い(パレイドリア寄り)

  • 顔・天狗・仏の顔(岩・木肌・雪の斑)
  • 文字・記号(縦書きの何か、経文や梵字のような形)
  • 実在しないペンキマークや道標——これは道迷いに直結する
  • 人影・先を歩く人
  • 動物(クマ・シカ)
  • 建造物(小屋・鳥居・階段)
  • 森の切れ目が道に見える

視覚そのものの変調

  • 地面が波打つ・盛り上がる
  • 格子・蜘蛛の巣・渦巻きのような幾何学模様
  • 遠近感や大きさの狂い
  • 視界の端で動くもの

存在感

  • 背後に誰かがいる確信。極限状況で報告されるものはサードマン現象と呼ばれ、遭難者や単独の高所登山者の記録に古くから出てくる

聴覚

  • 名前を呼ばれる
  • 話し声・沢音や風音のなかの旋律
  • 鈴の音

認知の歪み

  • 時間感覚が消える
  • 記憶が飛ぶ(どの区間を歩いたか思い出せない)
  • 独り言が増える

この中で、実在しない道標やペンキマークは性質が違う。顔や人影は「見えた」で終わることが多いが、道標は行き先を決める情報として働くので、そのまま足が動いてしまう。記憶が飛ぶ・時間感覚が消えるといった認知の側の変化も、見え方の話とは別に、行程管理を直接崩す。


見えたことより、直せないことが危ない

山の話でよく混ざる二つの言葉を、ここで分けておく。

幻覚は、実在する対象がないのに知覚が生じることをいう。真っ暗な部屋に誰もいないのに人が見える。無音なのに声が聞こえる。元になる刺激がない。

パレイドリアは違う。目の前に岩は実在している。木も実在している。実在する曖昧な形を、脳が別のものとして解釈しているだけだ。だから分類上は幻覚ではなく、錯覚の一種にあたる。

医学の世界では、この違いは診断に使われるほど明確に区別されている。レビー小体型認知症の研究では、ノイズ画像から顔を読み取ってしまう度合いを測る検査が、幻視の起きやすさの指標になることが示された。実在する刺激を誤って解釈するのがパレイドリア、刺激なしに知覚が立ち上がるのが幻覚。線はそこに引かれている。

ただ、山を歩く僕らに効くのは、この分類よりもう一本の線のほうだ。最初に浮かんだ解釈を、近づいて手に入れた情報で上書きして、捨てられるかどうか。

たとえば、30m先の岩が顔に見えたとする。近づく。10mまで来ると、鼻に見えていた出っぱりが割れ目の影だとわかり、目に見えていた窪みが苔だとわかる。増えた情報が「顔」という最初の解釈を壊して、「岩」に置き換える。ふつうは、この上書きが勝手に走る。しかも速い。

直らないときは、逆向きに動く。近づいて情報が増えても、最初の解釈が居座り続ける。増えたはずの情報のほうが最初の解釈に吸収されて、「顔の一部」として説明されてしまう。あの日くり返した文字がそれだった。近づいて得た新しい見え方は、「読めない」ではなく「もう少しで読める」に化けていた。上書きされるはずの側が、上書きする側を飲み込んでいた。

見えること自体は問題ではない。上書きが走らなくなったときに、性質が変わる。


健常な脳は4分の1秒で直している

ふだんの脳は約0.25秒で「顔だ」から「岩だ」へ切り替わるのに対し、寝不足・薬・霧の条件では最接近まで切り替わらないことを示した図
同じものを見ていても、訂正しきるまでの長さが違う。図:山道具ラボ

この上書き、つまり訂正にかかる時間は、実際に測られている。脳の反応を1000分の1秒の単位で追った研究によると、錯覚顔は最初のうち、本物の顔とよく似た形で脳に表現されている。ところが、そのあと表現が作り変わる。およそ250ミリ秒、つまり4分の1秒で、錯覚顔はただの物体と同じ扱いに切り替わる

一瞬ぎょっとして、すぐ岩だとわかる。あの体感には、実測された時間がついている。

僕の場合、それが数分から数十分かかった。あるいは、最接近するまで完了しなかった。

なぜ遅れるのか。知覚を「予測と証拠のせめぎ合い」として扱う考え方が、説明の枠組みを用意している。脳は絶えず「次に何が見えるはずか」という予測を立て、入ってきた感覚の情報でそれを修正している。この予測の側の重みが大きくなりすぎると、感覚の情報が予測を修正しきれなくなる。

これは机上の話ではない。実験室で、健康な人に幻聴を作り出した研究がある。光と音を繰り返しセットで見せ聞かせると、やがて光だけで音が「聞こえる」ようになる。計算モデルで分解すると、この幻聴は予測の重みが過剰になった結果として説明でき、感覚の証拠が予測を訂正するという通常の仕組みが働かなくなった状態にあたる。

僕の脳は、天狗も文字も、きちんと見えていた。岩の形も木肌の模様も、網膜には正しく届いていたはずだ。おかしくなっていたのは、そこから先だった。

疲労と薬が奪ったのは、見え方そのものではなく、間違いを訂正する速さだった。

そして、これは知覚だけの話で終わらない。訂正の速さは、道を選ぶときにも、天気を読むときにも、引き返すかどうかを決めるときにも、同じように使われているからだ。


あの日、僕に何が重なっていたか

翌日、正常な頭で歩きながら、前日の条件を並べ直した。以下は一般論ではなく、あの日の僕に何が重なっていたかの話だ。

寝不足は、落ちたことに気づけない

早発ちの日は、そのぶん睡眠が削れる。僕は午前2時に起きて3時に歩き出している。

厄介なのは、寝不足で先に落ちるのが体力ではなく判断力で、しかも落ち方が自分では感じ取りにくいことだ。ずるずると下がっていくのに、下がった実感だけが伴わない。小屋の夜に眠れなかった翌日に何が起きるかは、山小屋で眠れない理由をまとめた回に詳しい。

裏づけになる実験がある。健康な成人48人を、4時間・6時間・8時間の就床時間に14日間割り付けたところ、4時間と6時間の群では認知機能の成績が日を追って累積的に悪化し続けた。ところが主観的な眠気の評点は、最初に上がったあとほとんど増えなくなり、4時間群と6時間群を区別できなくなった

客観的な低下は積み上がるのに、本人の「眠い」という感覚は頭打ちになる。自分がどれだけ落ちているか、本人にはわからない。

薄い酸素と、情報の少ない視界

標高が上がれば酸素は薄くなる。この日は1,100mから2,600mまで上げている。

視界のほうも条件が悪かった。3時発の樹林帯で、見えているのはヘッドランプの光の輪の中だけだ。霧やホワイトアウトと同じで、目に入る情報が極端に少ない。情報が少ないほど、脳は手持ちの予測で埋めにいく。

しかも、その埋め方は無作為ではない。雨の日の山行を振り返ったある登山者の日記に、見間違いは自分がそう見たいもの、そのように受け取るとしっくりくるもののほうへ寄っていく、という趣旨のことが書かれていた。予測の重みが上がるという話を、現場の言葉で言い当てている。

行動食が足りずに血糖が落ちれば、これも上乗せになる。

前夜の薬は、朝もまだ残っていた

僕の場合、これがいちばん効いていたと思っている。

市販の睡眠改善薬の多くは、第一世代の抗ヒスタミン成分を使っている。アレルギーの薬の「眠くなる」副作用を、そのまま眠るために使う設計だ。眠くなるのは、成分が脳に入ってヒスタミンの受け皿を塞ぐからで、これは推測ではなく、人の脳で直接測られている。

東北大のグループが、健康な成人8人の脳を実際に測っている。薬が脳のどこにどれだけくっついているかを画像で見るPET(陽電子放射断層撮影)を使い、夜11時に成分を服用して翌日の午前11時に測ったところ、脳内のヒスタミンH1受容体の占拠率はまだ44.7%あった。服用から12時間経っても、脳の受け皿の半分近くが塞がったままということになる。

僕が歩き出したのは、服用からもっと短い時間だ。「一晩寝たから抜けている」という前提は、少なくともこの実験では支持されない。

さらに、この成分は連用すると数日から1週間ほどで眠気への耐性がつくという報告がある。「前に飲んだときは平気だった」が当てにならない理由がここにある。正直に書いておくと、僕はこのとき、前に飲んだときより多い量を飲んでいる。用法の範囲内ではあったが、前回と同じつもりでいて、実際には同じではなかった。

高所が絡むと、公的な線はもっと手前に引かれている。米国CDCが渡航者向けに出している高所旅行と高山病の資料は、高所で呼吸を抑えるタイプの睡眠薬を使わないよう求めたうえで、比較的短時間で切れるタイプの睡眠薬についても、効果が消えるまで服用後8時間は行動を控えるべきだとしている。

ところが、国内の助言は同じ方向を向いていない。日本山岳会の医療委員会が会報に載せたコラムは、高所登山の睡眠には、呼吸抑制のある睡眠薬より、眠気の副作用が強い昔の抗アレルギー剤を使うほうがよいと書いている。同じコラムは、必ず事前に試すこと、薬の選択は医師に相談することも求めていて、無責任な勧め方ではない。

ただ、翌朝まで受容体が塞がっているという実測と、8時間という線を並べると、同じ方向を向いているとは言いにくい。どちらが正しいかを僕が決められる立場にはない。書けるのは、助言が割れているという事実と、それぞれの出所までだ。飲むかどうかを決める前に、薬剤師か医師に相談してほしい。常用薬がある人はなおさらで、この話は単剤の話として読めない。

なお、この日の不調を高山病と考えるのは無理があった。急性高山病の診断は頭痛を必須とするが、僕の場合は頭痛が先行していない。そもそも高山病のかかり方は体力と関係がなく、対策の効き方にも順番がある。そちらは高山病を体力の問題として扱わない回にまとめてある。


幻より危なかった、一歩の中の居眠り

ここからが、この日いちばん怖かった話だ。

歩きながら、意識が飛んでいた。

眠気に耐えながら、必死に足を出している。その一歩のなかで起きる。足を持ち上げて、踏み下ろす、その一瞬に意識が切れる。気づくのは躓いたときだ。つまり事後にしか気づけない

これも何度もあった。ただし数え方に注意がいる。危なかったのが、たまたま10回ほどだった。10回意識が飛んだのではない。飛んだのはもっと多くて、そのうち足のいく先がまずかったのが10回、ということだ。

数えられたのは危なかった分だけで、残りは何事もなく通り過ぎている。自分で数えた回数は、起きたことの一部でしかない。

短時間の眠りが覚醒の中に割り込んでくる現象はマイクロスリープと呼ばれている。おおむね1〜15秒の長さで、脳波を測ると眠りの入り口とよく似た波形が出る。厄介なのは、本人が「眠った」と認識できないことだ。「一瞬ぼんやりした」「直前の記憶が抜けた」としか感じない。

ただし、この説明には弱点がある。歩行中のマイクロスリープを測った研究が見当たらないのだ。実験で確かめられているのは運転中と実験室の課題で、歩いている人間の脳波を測った報告には行き当たらなかった。だからこの部分は、体験と、運転で確かめられていることからの推測になる。ここは断定できない。

そのかわり、隣にもっと確かな話がある。睡眠不足が姿勢の制御を壊すことは、複数の研究をまとめた系統的レビューで、強い根拠があると評価されている。一晩の断眠で、立っているときの重心の揺れが前後左右ともに一貫して大きくなる。効果の大きさも小さくない。歩き方の変動が睡眠の質と関係するという報告もある。

意識が飛んでいたかどうかを別にしても、寝不足の身体は、すでに転びやすくなっている

そのうえで、その場で僕が考えていたのはこうだ。幻を見るのと、躓くのとでは、危険度が段違いだ。天狗が見えても落ちはしない。躓きは落ちる。

これは後から整理した理屈ではなく、朦朧としている最中の判断としてそうだった。派手な症状ほど危険とは限らない。 幻覚は物語として怖いだけで、身体を谷に運ぶのは躓きのほうだ。

この日は樹林帯だったから、躓きで済んだ。もし岩稜や、片側が切れた稜線だったら、同じ10回が同じ結果で終わったとは思わない。


止まると決められる形にしておく

この日、僕は千枚小屋でプランBに切り替えた。下山ではない。小屋でテント泊し、翌日から回る。体調がさらに悪ければ下りる、という段階を刻んだ計画に移した。

持ち帰ってほしいのは、この判断ができた理由のほうだ。

その場では原因はわからない。 僕が薬に行き着いたのは翌日、正常な頭で歩きながらいくつかの仮説を並べ直したときだ。行動中は、常用薬との相互作用も、高山病も、候補として残ったままだった。原因を特定してから対処しようとしても、それは不可能だ。原因不明のまま「異常だから止める」と決めるしかない。

朦朧とした頭では、新しい計画は立てられない。 できるのは、すでにある選択肢から選ぶことだけだ。だからプランBは、正常なうちに作っておく必要がある。しかも撤退か続行かの二択にしない。段階を刻んでおくと、判断のハードルが下がる。停滞・エスケープ・下山のうち、この日は真ん中を選べた。

撤退の線は数字で持つ。 「頻発したら」は曖昧すぎる。躓きが数回出た時点で止まる、という決め方のほうが機能する。数えられた躓きの裏には、数えられなかった断絶がある。数回でも、信号としては十分に強い。幻が見えてから決めようとすると遅い。その時点で、決めるための判断力自体が落ちている。天候をもとにした撤退の考え方は、待てば好転するかで分ける撤退判断の回で数字の決め方まで書いた。原因が自分の内側にあるときも、決め方は同じでいい。

判断力が落ちていることの、いちばん鋭い目印は確信の強さだ。 「顔に見えるな」と思っているうちは、上書きの回路が動いている。「顔がある」と確信したら、動いていない。錯覚と、そうでないものを分けるのは、直せるかどうかだった。直せなくなったことに、自分では気づけない。だから確信の強さのほうを目印にする。

申告は症状ではなく、回数と危険性で伝える。 僕は躓きのことを同行者に伝えていた。伝わらなかった。悪意も怠慢もなく、全員が自分の登りで手一杯だっただけだ。「眠い」は疲労の訴えとして処理されて流れる。「意識が飛んで10回躓いた、このまま登ると危ない」なら重さが伝わる。受け取る側も、不調の申告があったらその場で立ち止まって確認する、というルールを先に握っておくといい。行動中の申告は流れるのが普通だから、仕組みで担保する。

もうひとつ。当初、僕は他の3人を行かせて、単独で小屋に残るつもりだった。「迷惑をかけない」つもりの配慮だが、悪化したときに誰も気づけない形でもある。同行者を1人つけるか、全員で行程を変えるほうが優先度は高い。 それでも1人になる時間ができるなら、自力で助けを呼べない状態を前提に、外から見つけてもらう手段を持っておく。電波の届かない場所での選択肢は圏外の遭難で何が変わったかを整理した回で比べた。

僕はベーシックプランを直近まで使い、いまはGPS+にしている。入会フォームに下の紹介コードを入れると入会金3,300円が0円になる(紹介した側の翌年度会費も無料になる仕組みだ)。

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止まったあとは、細かい作業ができない

止まる判断ができたとしても、そこから先がある。夜明け前の樹林帯で足を止めれば、夜明けまでは暗いままだし、動かなくなった体は冷えていく。

ここで効くのは装備の性能より、判断力が落ちた状態でも使えるかどうかだ。ツェルトは張るのに数分かかる。手がかじかんで判断も鈍っている人間にとって、その数分は長い。電池を入れ替える、紐を通す、たたみ方を思い出す。そういう手順を挟むものは、必要になったときには使えない。

だから、入るだけ・被るだけ・首にかけるだけで完結するものを、行動不能になる前提で選んでおく。停滞を計画に織り込んで待つなら張る道具のほうが分がいいが、それは別の話だ。

メインのヘッドランプが落ちたときに、袋から出して首にかけるだけで足りるもの。26gなら、持っていることを忘れられる。

Petzl e+LITE E02
ペツル(アルテリア・国内正規品)
Petzl e+LITE E02
26g / 最大50ルーメン / 電池を入れたまま10年保管できる / IPX7

入るだけで完結する。設営という工程がない。

SOL ニューエスケープヴィヴィ
SOL(スター商事・国内正規品)
SOL ニューエスケープヴィヴィ
227g / 透湿・ジッパー付 / 入るだけで設営不要

227gが重いと感じるなら、包まるだけの1枚でも、何も無いのとは違う。完全ではないが、判断が鈍った手でも広げられる。

SOL エマージェンシーブランケット(ヒートシート)
SOL(スター商事・国内正規品)
SOL エマージェンシーブランケット(ヒートシート)
65g / 142×213cm / 広げて包まるだけ

道具の話をしたが、順番を間違えないでほしい。これらは止まると決めたあとに効くもので、止まる判断そのものを助けてはくれない。判断のほうは、ここまでに書いた決め方でしか作れない。


まとめ:「顔に見える」ならいい、「顔がある」と思ったら止まる

岩が顔に見えるのは、脳が正しく働いている証拠だ。木が人に見えるのも、それ自体は病気ではない。健常な脳は、その間違いを4分の1秒で直している。

疲れて、眠れていなくて、薬が残っていて、視界が単調なとき、失われるのは見え方ではない。間違いを訂正する速さのほうだ。 そして訂正の速さは、道を選ぶことにも、天気を読むことにも、引き返すかどうかを決めることにも、同じように使われている。

だから、山で何かが見えたとき、確かめるのは「何が見えたか」ではない。それが直るかどうかだ。

怖いのは天狗ではなかった。一歩の中で眠ることだった。

山で出会うものの名前を覚えたくて、写真クイズのiPhoneアプリを3本つくりました