- 稜線でキットを開くのは、たいてい「歩けなくなりかけた」ときだ
- 何を入れるかは、エスケープに何時間かかるかで決まる
- 最初に厚くするのは、足だ
- 血が出たら、消毒しない・乾かさない
- 捻挫と骨折は、「治す」ではなく「歩かせる」ために固定する
- 歩けなくなるのは、体だけではない
- 薬は「歩けるようにする」ものだけを入れる
- 入れないと決めたものと、その理由
- 容れ物は、35gから選べる
- 3〜5日テント泊縦走のキット早見表
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稜線でキットを開くのは、たいてい「歩けなくなりかけた」ときだ
令和6年の山岳遭難で、遭難者は3,357人。そのうち負傷者が1,390人、全体の41.4%を占める。態様別では道迷いが1,021人(30.4%)と最多で、その次に来るのが転倒671人(20.0%)、滑落577人(17.2%)だ(警察庁「令和6年における山岳遭難の概況等」令和7年6月19日)。
この並び順は、キットの中身を決めるときに効いてくる。滑落より転倒のほうが多い。派手に落ちる事故より、平凡に転ぶ事故のほうが起きている。そして遭難者の4割が「けがをしたが、生きて救助されている」。つまり多くの現場では、けがをしてから助けが来るまで、あるいは自力で下山するまでの時間が存在している。その時間をどう過ごすかがファーストエイドキットの仕事だ。
僕がこれまで山でポーチを開けた場面も、全部この種類だった。息子と歩いていて転んで手のひらを擦りむいた。岩場で指を切って血が止まらない。下りで足首をひねって、そこから先を歩かせていいのか判断がつかない。心肺蘇生でも大量出血でもなく、「この状態で、あと何時間歩けるか」を決めるための処置ばかりだった。
子ども連れだと、この判断がさらに重くなる。本人は「歩ける」と言う。でも痛みで足の運びが変わると、次の転倒を呼ぶ。処置は傷を治すためというより、次の一歩の質を戻すためにやっている。
キットの中身を「何グラムまで許容できるか」から決めると、この現実と噛み合わなくなる。先に決めるべきは重さではない。
何を入れるかは、エスケープに何時間かかるかで決まる
日帰りとアルプス縦走の決定的な違いは、傷の重さではない。傷を抱えたまま歩かなければならない時間だ。
日帰りなら、たいてい「下山口まで我慢する」で成立してしまう。数時間の話だからだ。3〜5日の縦走は違う。稜線の真ん中で足を痛めたとき、そこから最も近い下山口まで何時間かかるかが、そのまま自己完結すべき時間になる。
具体的な数字で見たほうが早い。常念小屋(常念乗越)の公式案内では、一ノ沢からの登りが約4時間30分とされている。稜線から最短で里に降りられるルートですらこれで、下りでも3時間前後は見ておくことになる。同じ常念小屋に三股から前常念経由で入る場合、行程は約8時間。エスケープ先の選択を間違えると、必要な時間は倍以上に膨らむ。
北アルプス最奥に近い双六小屋から新穂高へ小池新道を降りる場合も、弓折岳まで1時間20分、そこから小池新道の登山口までさらに2時間20分と積み上がっていく(登山情報サイト「山旅旅」のコースタイム)。新穂高まで含めれば4〜5時間の行程になる。
ここから導かれる前提はひとつ。アルプスの稜線にいる間、たいていの場面で「半日は自分で処置して自分で歩く」ことになる。救助ヘリは天候と時間帯に左右される。ガスに巻かれた稜線や日没後は、飛べる前提で計画できない。「呼べば来る」を前提にしたキットは、呼べない時間帯のために作られていない。
だから僕は、日数ではなく次のエスケープまでの想定時間で3段階に分けて考えている。
1日(6〜12時間):エスケープが1本しかない区間。関節の固定と痛み止めが要る
2日以上:最奥部、悪天で停滞が挟まる想定。消耗品を人数×日数で積む
3〜5日のテント泊縦走は、区間ごとにこの3つを行き来する。だから中身は「最も長い区間」に合わせて組み、消耗品の枚数だけ日数で調整する。
最初に厚くするのは、足だ
キットの中身を優先順位で並べると、僕は足のトラブル用を一番厚くする。
理由は、命に関わらないトラブルほど行動を削るからだ。マメや靴擦れで死ぬことはない。ないが、痛みが出た瞬間から歩き方が変わる。かばう歩きは接地が浅くなり、浮き石で滑る。
ここは統計で証明されている話ではない。マメが転倒の何割を引き起こしたか、という数字は公表されていない。ただ、遭難の態様で転倒が滑落を上回っているという事実と、足の痛みでバランスが落ちる実感は、僕のなかでは地続きだ。少なくとも、3日目に足を引きずり始めた同行者を見た経験があるなら、優先順位の置き方として無理はないと思う。
そして足のトラブルは、予防と処置で使う道具がまったく別物だ。ここを混同すると、両方入れたつもりで片方しか持っていないことになる。
予防:摩擦を減らすものと、皮膚を守るもの
まず摩擦そのものを減らす。白色ワセリンを、靴擦れしやすい場所(かかと、母趾球、小指の外側)に朝の出発前に塗る。皮膚と靴下の間の滑りが変わるので、同じ距離でも熱の持ち方が違ってくる。トレイルランナーが長距離レースで使う手法で、登山でも理屈は同じだ。汗で流れるので、行動中に塗り直す前提で考える。
次に、当たる場所そのものを覆う。ここで使うのがテーピングだ。皮膚に直接貼って、靴の内側と皮膚の間に別の層を作る。
テープは銘柄で結果が変わる。汗で剥がれるテープを稜線で貼り直すのは、素手が冷えていく時間との勝負になるので、剥がれにくさを最優先で選ぶ。僕はニトリートの撥水タイプ(NKHシリーズ)を使っている。汗や水にさらされても粘着が維持されるように作られた粘着剤で、通気のためのウェーブ塗工が入っている。足まわりなら50mm幅が使いやすい。4mあれば3〜5日の縦走で足りるし、余りは他の用途にも回せる。
テープは足以外にも回る。指の切創を押さえる、ザックのベルトの擦れを止める、破れたレインウェアを塞ぐ、といった具合に。1巻で複数の役割を持てる道具は、縦走のキットでは優先度が上がる。
処置:できてしまった後は、湿潤環境を作るものに切り替える
マメが潰れた、皮がめくれた。そうなったらテープでは対応が変わる。傷口に直接テープを貼ると、剥がすときに新しい皮膚まで持っていく。
ここで使うのがハイドロコロイドの創傷被覆材だ。体液を吸って湿潤環境を保ち、その上から靴を履いても痛みが出にくいだけの厚みがある。かかと用・つま先用に成形されたものは、足の曲面に沿うので剥がれにくい。
枚数は日数で決まる消耗品の代表格だ。日帰りなら2枚で足りるが、4日歩くなら貼り替えが発生する。ここをケチると、3日目に「もう貼るものがない」という状態になる。
なお、靴下そのものが足のトラブルの上流にある。素材と厚みの選択でマメの出方が変わるので、着替えができない山行での靴下の選び方も併せて考えたい。
血が出たら、消毒しない・乾かさない
傷の手当ては、この10年で常識が入れ替わった分野だ。かつての「消毒してガーゼを当てて乾かす」は、いまは推奨されない。消毒液は細菌だけでなく再生しようとしている細胞も痛めるし、乾かすと治りが遅くなる。現在の基本は、水で洗って、湿潤環境を保つになっている。
ただし、洗うより先にやることがある。血が出ている間は、まず押さえる。パッドかガーゼを当てて、上から指で圧をかける。ここで一番やりがちなのが、止まったか気になって数十秒でめくることだ。そのたびに固まりかけたものが剥がれて、振り出しに戻る。消防庁や日本赤十字社の応急手当が言うのは「止まるまで圧迫し続ける」で、何分と決めてはいない。裏を返せば、数十秒で判定するなという意味だ。時計を見て、数分は緩めないつもりで押さえる。手や腕なら、その間だけ心臓より高く上げておくと落差の分だけ止まりやすい。
押さえて止まる出血なら、手持ちのパッドとテープで足りる。止血に特化した製品を別に入れていないのはそのためだ。5分の圧迫でも止まらない、あるいは押さえていないとすぐ溢れてくるという状態なら、キットで処置を続けるより、救助を呼ぶ側に切り替える判断が要る。
血が止まってから、洗う。これを稜線でやるときの問題は、水だ。テント場と違って稜線の途中に水場はない。手持ちの飲み水で洗うことになるので、「傷を洗う」は水の残量と直結した判断になる。僕は目安として、行動用の水が1L以上残っているなら惜しまず洗う、それ以下なら泥や砂を落とす程度にとどめて被覆を優先する、という線を引いている。
被覆材は、傷口に張り付かないものを選ぶ。滅菌ガーゼは安価でかさばらないが、乾いた血液と一緒に固まって、剥がすときに傷を作り直す。非固着性のパッドなら、その事故が起きにくい。
そして手袋。他人の血に触れる可能性がある場面では、使い捨て手袋を1組は持っておきたい。同行者、特に他パーティの人を助ける状況では、自分の感染防護がないと踏み込めない。ニトリル手袋は箱売りが基本なので、2組だけジップ袋に入れてキットに移す。
置き場所も中身のうちだ。手袋がキットの底にあると、ザックを下ろす、ポーチを開ける、中を探す、という手順を踏むことになる。自分の擦り傷ならそれで困らないが、他人が血を流している場面では、その数十秒がそのまま「触るのをためらう時間」になる。キットに2組入れたうえで、もう1組をショルダーハーネスのポケットや雨蓋など、ザックを下ろさずに手が届く場所に分けておくといい。増える重さは数グラムで、効くのは動き出しの速さのほうだ。
捻挫と骨折は、「治す」ではなく「歩かせる」ために固定する
足首をひねった時点で、選択肢は3つしかない。そのまま歩く、固定して歩く、動かずに救助を待つ。稜線の真ん中でこの判断をするとき、真ん中の選択肢を持てるかどうかがキットの差になる。
テーピングは固定にも使える。ただしキネシオロジーテープは伸縮するので、関節を強く固定する用途では非伸縮テープに劣る。そこを1本で埋めたいなら、成形できる副木が効いてくる。SAMスプリントはアルミ芯をフォームで挟んだ構造で、平らなままだと柔らかいが、湾曲させると一気に強度が出る。36インチ(91cm)で120g。ハサミで切って長さを調整でき、腕にも足首にも回せる。
120gをどう見るかは、そのルートのエスケープ時間による。小屋が連続する稜線なら置いていく判断もある。最奥部を絡めるなら、僕は持つ側に倒す。三角巾は専用品を買わなくても、バンダナやネックゲイターで代用できる。腕を吊るだけならそれで足りる。
固定して歩けたとしても、それは応急処置であって治療ではない。下山後に医療機関で診てもらう前提の話だと、はっきり書いておく。
動けなくなった人は、その場から冷えていく
固定しても歩けない、という結論になることもある。その瞬間から問題が入れ替わる。けがそのものより、動かない体から熱が抜けていくことのほうが先に効いてくる。
夏の稜線でも、風があって濡れていれば体温は落ちる。行動をやめた人は熱を作らないので、収支が一気にマイナスに振れる。この構造は止まった瞬間から始まる熱の収支として別に書いた。
だからキットには、けが人を包めるものを1枚入れておく。エマージェンシーブランケットでもツエルトでもいい。テント泊縦走ならツエルトかテント本体があるので新しく買う必要はないが、「けが人が出たら真っ先に包む」を手順として持っているかは別の話だ。処置に気を取られて、体温を守る側が後回しになりやすい。
ハサミも忘れやすい。テープを4mの巻きから手でちぎるのは、風のある稜線では思ったよりうまくいかない。副木をカットする場面もある。
ここは何を選ぶかで差が出る。医療用の頑丈なシザーズは切れ味は確かだが、キットに入れるには重い。逆に事務用の小型ハサミは、粘着テープを何度も切ると刃に糊が乗って切れなくなる。縦走で現実的なのは、ハサミとピンセットを兼ねた小型のマルチツールを1本入れておく形だ。ピンセットがあれば、木のトゲやマメの皮の処理にも回る。
刃物を持つことになるので、扱いは山行の道具として常識的な範囲にとどめる。キットから出さないまま街を歩き回らない、というくらいの意識でいい。
歩けなくなるのは、体だけではない
縦走で行動が止まる原因には、体のトラブルと同じ重さで「道具が壊れる」がある。とくに厄介なのが登山靴のソール剥離だ。経年でウレタンが加水分解して、歩いている最中に底が口を開ける。体はどこも痛くないのに、そこから普通には歩けなくなる。
これに対する現場の解が、ダクトテープだ。甲の側から靴ごとぐるぐる巻きにして、下山までを持たせる。テントの生地が裂けた、ポールが折れた、レインウェアに穴が開いた、といった場面にも同じ1巻で回せる。
ファーストエイドの側から見ても使い道がある。副木を巻いて固定する、パッドの端を押さえる、といった用途だ。ただし粘着が強いので、皮膚に直接貼るのは避けて、テーピングを1枚下に敷いてからその上に重ねる。
携行の仕方は、ロールごと持つ必要はない。細身のハンディサイズを1巻キットに入れるか、ストックのシャフトやライターに数十cm巻いておけば足りる。
アウトドア向けの小分けダクトテープ(SOLの製品が1巻20gで知られる)もあるが、2026年8月時点では主要通販での在庫が切れている。手に入る範囲で、細幅の補修テープを1巻選べば役割は同じだ。
薬は「歩けるようにする」ものだけを入れる
薬の欄は、際限なく増やせてしまう。だから僕は基準をひとつに絞っている。その薬があることで、次のエスケープまで歩けるようになるか。それだけだ。
痛み止めは、種類で使い分けが要る
鎮痛薬は入れる。痛みで歩行が乱れることを防ぐ意味がある。ただし「痛み止め」とひとくくりにできない事情が、縦走にはある。
市販の鎮痛薬は、大きくアセトアミノフェン系(タイレノールなど)と、NSAIDs系(非ステロイド性抗炎症薬。ロキソプロフェン、イブプロフェンなど)に分かれる。効きの強さで言えばNSAIDsだが、NSAIDsは腎臓への負担が脱水下で跳ね上がる。腎障害のリスク因子として、既存の腎機能低下や高齢に加えて脱水状態が挙げられており、飲水不足の状態が続くと重篤化する機序が指摘されている。一方でアセトアミノフェンは、消化管・腎機能・血小板への影響が小さいことが特徴とされる。
縦走の稜線は、まさに脱水が起きやすい環境だ。水は担いだ分しかなく、行動中は汗をかき続ける。だから僕は、基本の1本をアセトアミノフェン系にして、NSAIDsを足すなら水が十分にあることを条件にするという組み方をしている。効きが強い薬を万能として持つより、この順番のほうが縦走の条件に合う。
なお、頭痛が標高を上げた後に出てきたなら、それは鎮痛薬で押さえる前に高山病を疑う場面だ。
腹痛と下痢は、止めていい場合と止めない場合がある
テント泊の縦走で腹をやられると、行動が丸ごと止まる。水分と電解質が抜けて、そこから歩けなくなる。だから腹の薬は、僕にとって鎮痛薬と同じ優先度にある。
ただし下痢止めは、飲めばいいというものではない。血便がある、発熱を伴う、強い腹痛がある。このどれかに当てはまるときは、下痢止めを自己判断で使わないというのが原則だ。感染性の下痢では、症状を止めることで悪化しうるとされている。逆に、発熱も血便もない水様便であれば、行動を続けるために止める判断は成り立つ。
そして下痢そのものへの対応の中心は、薬ではなく水分の補給になる。ここは行動用の水の計算と直結する話で、稜線で腹をやられた日は、その日のうちに水場か小屋のある高度まで降ろす判断も併せて考えることになる。
もう一段上流に、手を洗うという話がある。テント泊の縦走では、行動中の食事も調理も手で触る。そしてここで見落とされやすいのが、アルコール消毒が効きにくい相手がいることだ。ノロウイルスはエンベロープを持たないため通常のアルコールでは不活化されにくく、手指からウイルスを減らす方法としては、洗い流すことが最も有効だとされている。
つまり、ジェルを1本持っていれば安心という構図にはならない。水が貴重な稜線でも、食事の前に少量の水で流す手洗いをする意味はある。ウェットティッシュで物理的に拭う手もある。腹をやられてから薬で止めるより、この30秒のほうが行程を守る。
胃のむかつき側には制酸薬を数錠、日常的に腹が弱い人は整腸剤(新ビオフェルミンS錠など、約¥448)を小分けにして足しておくといい。こちらは初日から飲んでおく類のもので、痛くなってから飲むものではない。
常用薬がある人は、行程日数より多めに。ここは絶対に削らない。停滞で1日延びる可能性を織り込むと、予備が1日分では足りないことがある。
そのうえで、薬にはひとつ守るべき線がある。常備薬は自分のものを自分で持ち、他人に渡さない・他人からもらわない。ガイドが繰り返し言うのはここだ。同行者が頭痛を訴えたときに手持ちを分けたくなるが、相手の持病もアレルギーも飲み合わせも分からない。分けられるのは水と行動食までで、薬はそこに入らない。パーティで歩くなら、各自が自分の分を持っているかを出発前に確認するほうが早い。
一方で、山でよく話題になる不調のいくつかは、薬より先に理解しておくべきことがある。高山病は、体力では防げず順応がすべてで、薬は順応を速めるだけという構造になっている。足がつる問題も、原因が電解質不足とは限らず、効く条件で仕分ける必要がある。キットに何を入れるかより、そちらを先に読んだほうが結果的に軽くなる。
虫刺されは、ステロイド外用薬を小さいチューブで1本。ハチに刺された場合は塗り薬の話ではなくなるので、全身症状が出るかどうかで見分けるほうが先に来る。
医薬品の使い方は個人差と持病に左右される。ここに書いたのは装備としての考え方で、診断や治療の指示ではない。処方が必要な薬は、事前に医師と相談してほしい。
入れないと決めたものと、その理由
3〜5日分を背負う縦走では、入れる理由と同じくらい、入れない理由をはっきりさせておく必要がある。
ポイズンリムーバーは、相手によって扱いを分けている。ここは一括りにされがちなところだ。
ハチについては、持つ理由が薄い。国際山岳医は、ハチ毒は数秒から数分で吸収されるため器具を取り出すころには大半が入っていると指摘しており、有効性を確かめた臨床研究もない。ヘビ毒を対象にした吸引器の検証でも、回収できる毒はごくわずかだった。森林総合研究所のように携行を勧める立場もあるが、少なくとも「刺されたらこれで解決する」という道具ではない。
一方で、ブヨやアブは機序が違う。皮膚を噛み切って唾液を表層に残すタイプで、そのあとの腫れと痒みは唾液の成分に対する遅れて出る反応だ。深部に注入された毒を回収する話ではなく、表層に残ったものを早く取り除く話になる。使用は数分以内、時間が経つほど意味が薄れると言われるのも、この理屈と噛み合う。
僕自身はブヨとアブに対しては使っていて、同じ日に何か所か刺されたときに片方だけ処置して比べると、その後の腫れ方に差を感じている。ただしこれは自分の体でのひとりぶんの観察で、比較試験があるわけではない。掻く前に手当てしている、同時に洗って冷やしている、といった別の要因も混ざりうる。
だから縦走のキットとしての結論はこうなる。ハチを想定した装備としては外す。ブヨとアブが多い樹林帯やテント場を絡めるなら、持つ理由はある。重さは30g前後なので、どの虫のいる場所を歩くかで決めればいい。
消毒液も持たない。水で洗って湿潤環境を保つ手当てを前提にするなら、基本的に出番がない。
大量の滅菌ガーゼも減らす。かさばる割に、非固着パッドとテープの組み合わせでほとんど代替できる。
逆に、日帰り用のキットから増やすべきものもある。消耗品の枚数だ。絆創膏もハイドロコロイドも、3日目以降に足りなくなる。日帰り装備の考え方については日帰りで持つべき生還キット7点に書いたが、縦走ではその中身をそのまま日数倍するのではなく、消耗品だけを日数で伸ばし、道具は1つずつという組み方になる。
天候が崩れて停滞が挟まると、この計算がずれる。撤退か停滞かの判断そのものは、待てば好転するかで分けるほうに軸がある。
容れ物は、35gから選べる
中身が決まったら、最後が容れ物だ。
パーゴワークスのマイファーストエイドは、Sが150×110×40mmで35g、Mが190×135×40mmで45g。本のページをめくるように中身を一覧できるPOPS構造で、ベルクロでジッパーバッグを付け外しできる。3〜5日の縦走なら、消耗品が増える分Sだと窮屈になることがあるので、僕はMを基準に考えている。
ここで見落とされがちなのが、本体が防水ではないという点だ。稜線で雨に打たれた日、ポーチの外は濡れる。絆創膏もハイドロコロイドも、濡れた時点で粘着が使い物にならなくなる。中身をジップ袋で二重にしておくのは、道具を1つ足すより効く。
ポーチそのものについて、ガイドがよく言うことがもうひとつある。ひと目で救急セットだと分かる見た目にしておくことだ。自分が倒れた側になったとき、ザックを開けるのは他人になる。赤や白十字が目立つポーチなら、探す時間が減る。
0gで効く装備|自分の情報を書いた紙
そして、たぶんこれが一番抜けやすい。自分の医療情報を書いた紙を1枚入れておく。
意識がある間は自分で言えるが、言えない状態のときにこそ要る情報だ。マイファーストエイドにはIDシートが1枚付属していて、これはまさにそのための紙なのだが、白紙のまま山に持っていかれることが多いのではないかと思う。
これは買うものではないので、そのまま書き写せる形にしておく。名刺サイズの紙かカードに書いて、ジップ袋に入れてキットの一番上に置く。
持病・既往(例:喘息、不整脈、糖尿病)
常用薬(薬品名と量。お薬手帳の写真でも可)
アレルギー(薬・食物・ハチ)
緊急連絡先 2件(続柄と電話番号)
山岳保険/ココヘリの会員番号
今回の行程と予定下山日
行程を1行書いておくのは、倒れた場所と計画のズレを他人が読めるようにするためだ。登山届と重複していても構わない。届は山にはない。
重さはほぼゼロで、行程が長いほど効く。同じ理屈で、コンタクトレンズを使う人は予備の眼鏡かレンズをキットに入れておくといい。目のトラブルは処置ができないまま行動不能に直結する数少ない領域で、しかも縦走では自分では解決できない。
3〜5日テント泊縦走のキット早見表
最後に、ここまでの内容を1枚にまとめておく。重量は実測値と公称値の混在で、消耗品はジップ袋に移した状態の概算だ。
| 用途 | 中身 | 重量 | 日数で増やすか |
|---|---|---|---|
| 足・予防 | ワセリン(小分け10g)+撥水テープ50mm×4m | 約60g | テープは増やさない |
| 足・処置 | ハイドロコロイド(かかと・つま先)4〜6枚 | 約15g | ◯ 日数×1〜2枚 |
| 創傷 | 非固着パッド3枚+絆創膏各種+使い捨て手袋2組 | 約25g | ◯ 枚数のみ |
| 関節 | SAMスプリント(カットして携行)+バンダナ | 約100g | × ルートで持つか決める |
| 薬 | アセトアミノフェン系4〜6錠・下痢止め・制酸薬・ステロイド外用・常用薬 | 約30g | ◯ 常用薬は停滞1日分を上乗せ |
| 道具の応急 | ダクトテープ(1巻、またはストックに数十cm巻いて) | 数g〜 | × 巻き取り量で調整 |
| 情報 | 医療情報カード(血液型・持病・常用薬・アレルギー・緊急連絡先・保険番号) | 約1g | × 出発前に書く |
| 容れ物 | マイファーストエイド M+ジップ袋+マルチツール | 約70g | × |
| 合計(副木を持つ場合) | 約300g | 副木を置けば約200g | |
300gは、行動食にすると1食分ほどの重さだ。テント泊装備の総重量から見れば誤差の範囲に近い。それでも中身を吟味する意味があるのは、重さの問題ではなく、必要なときに必要なものが入っているかの問題だからだ。
稜線でポーチを開ける場面は、たいてい急いでいる。風が吹いていて、指がかじかんでいて、同行者が痛がっている。そのときに探し物をしないで済むかどうかは、山に入る前に一度中身を全部出して並べたかどうかで決まる。エスケープに何時間かかるルートなのかを地図で確かめる作業と、それは同じ準備の一部だと思っている。